よしなしごと其之参拾



屋根落ち

 まずは自分の話から。
 もうかれこれ十年以上も前の話である。正月三日、昼くらいから親父と一杯呑み始めた。取り敢えずビールに始まり、バーボンに行って、最終的に日本酒に辿り着いた。もう親父も大分酔っぱらってたんで、一升殆ど一人で空けたんだけど、そん時は絶好調で全然平気だったっけ。前日までかみさんの故郷である九州は佐賀の実家で、丸一週間酒漬けだったせいかも知れない。
 飯でも喰おうと思ってたら、夜八時くらいだったか地元の悪友から電話があって、いつも行く近所の呑み屋で呑んでるから、家族連れて来いとのこと。皆行くってんで連れていったら、そこには既に悪友連が五人ほど呑んでいた。
 またそこでビール数本と日本酒四合程度呑んだ酔蝗であったが、0:00を過ぎてお袋とかみさんが帰るってんで、五分ほどだが家まで送った。したら、お袋が家の鍵忘れたんで、中に入れない。いつもなら呑み屋に戻って鍵取ってくるところだが、この日の酔蝗は酔っていた。二階の窓から入ろうと試みたのである。制止の言葉も聞かばこそ、二階の屋根に登った酔蝗であったが、生憎その日はどの窓も雨戸が閉まっていた。ここで止めればそれまでであるが、この日の酔蝗は酔っていた。子供の頃からそこだけは行ったことがない、西側の窓から入ろうと試みたのである。
 当時の我が家の構造では、西側には屋根はなく、二つの庇が2mくらいの間を置いてあるだけだった。そこに乗れば、西側の二階の窓に手が届くのだが、当時の家は西側いっぱいに建てられていたので、隣りの敷地までの幅が50cm、しかも隣の敷地は60cmほど低くてコンクリート敷きだった。庇の高さが約2m、そこに立つ酔蝗の身長が約1.9m、隣りの敷地が−0.6mだから、酔蝗の目から下を見ると4.5mの高さで、しかもコンクリートの敷地。
 最初の庇には難なく立った。屋根から1mほどしか離れてなかったから。で、窓を開けようと思ったら、これがまた閉まってる。いつもなら諦めるところであるが、この日の酔蝗は酔っていた。もう一つの庇に飛び移ろうと試みたのである。庇と言ったって、やっと立てる程度の幅だったし、革靴で滑りそうだったが、酔っていたんだから仕方がない。壁にへばりついて足を伸ばしたら、運良く届いた。
 と思った瞬間、足が滑った。「やばいっ」と思った時、目の前にはコンクリートの地面だった。酔蝗は死んだと思い込んだ...
 どれほど経ったか、遠くの方から人の叫び声が聞こえてきた。目を開けるとお袋とかみさんがいた。確かに目の前にコンクリートを見た筈なのに、なぜか50cmしかない家の敷地に腰から落ちていた。一段だけ積んだ敷地の境のブロックにも当らずに、誰も歩かないので軟らかいままの土の敷地に落ちたのである。
 生きているっ、と思ったら急に嬉しくなっちゃって、倒れたまんま二十分ほど哄笑した酔蝗であった。ここで終われば奇跡の生還話であるが、うちのお袋は只者ではなかった。「寝かせちゃえば大丈夫」の一言で、痛がる酔蝗を自分で歩かせ、布団に押し込んだものである。(なんでドアが開いたかは、今だに謎である...)
 昔の人は強いよなぁ...まぁ、骨一本折らなかった酔蝗も酔蝗だけど...