よしなしごと其之参拾六



後ろ袈裟懸け

 この漢、酔蝗の前の会社の友人であるが、歳は3つくらい下だった筈である。酒量は酔蝗とどっこいどっこい、今時珍しい硬派タイプの漢である。
 そんな奴なんで、ガキの頃は随分ワルかったらしい。いわゆるツッパリ系である。中学くらいから外で呑むことを覚え、本人曰く、紋々系の方々にも可愛がられたらしい。
 で、当然の事ながら、親からはこっぴどく怒られていたらしいが、偉いことに親には手を挙げなかった辺りが漢である。と、酔蝗は思っていたが、実状はちと違うらしい。奴の父上は、なんでも相当に恐ろしい方らしく、何が恐ろしいって堅気のサラリーマンなのに、キレると何をするか分からない所が恐いんだそうである。
 中学時代のある時、偶々休日であった父上が家におられる時に学校サボって帰ったんだそうである。怒る父上に『うるせぇな!』と言った途端に父上が奥に引っ込んだんだそうである。この漢曰く、『はて?』と思った次の瞬間、奥から父上が抜き身の日本刀持って走ってきたんだそうである。この漢の家は地元でも旧家なんだそうで、そういう物騒なものもあるんだそうである。
 父上の目を見たら完全にイッちゃってる状態だったので、『殺される!』と思ったこの漢、玄関に向かって逃げたらしいが、タッチの差で追いつかれて背後から袈裟懸けの一刀を浴びたんだそうである。すごーーーーく痛かったらしいけど、二の太刀を浴びたら確実にお陀仏だと思ったこの漢は、そのまま裸足で屋外に逃げ出して、タクシーを止めたんだそうである。
 血塗れの漢を見て驚いた運転手が『どうしたんですか?』と聞いたので、答えたんだそうである。『ちょっと転んじゃって...』そんな訳ねぇだろ!納得する運転手も只者ではないが。で、病院に行って随分縫われたんだそうであるが、幸い浅手だったようである。
 今ではこの漢もりっぱに更正して、父上ともうまくやっているそうである。父上も最近は滅多にキレないんだそうである...