魔の存在


 子供と話していて、ふとこんなことを考えた。
 そも”魔”とは何か?
 宗教学的、心理学的、民俗学的、哲学的、科学的な見解はさて置き、『霊的な存在、善の対極を為す存在、人がある状態・状況に対して感じた恐怖を具現化した存在』とでも言おうか。具体的に言えば、魔神・悪魔・妖怪・悪霊・物の怪などの名称で呼ばれるモノたちである。
 彼らに対する物理的な実在論は耳に喧しいが、元々精神世界の住人たる彼らに物理的存在の証明を求めること自体がナンセンスだし、意味がない。
 別に唯物論者を攻撃するつもりは更々ないし、自分自身が彼らの存在を果たして本気で信じているかと言うと首を傾げざるを得ない。ただ、彼らが存在すると言う考えに、もっと寛容であっても良いのではないかと思うだけである。
 しかし、敢えて言うなら、こうは言えないか。『彼らの存在を信じている集団の中においては、彼らは精神的に確実に存在する。』
 例えば、過去の日本の特定の村において、理由もなく行方不明者が出たとする。その時、村人の誰かが”魔”を犯人であると断定した途端、その村には確実に”魔”が存在することになる。この際、”魔”の具体性は重要でない。理不尽な存在が恐ろしいことをしたと村中が信じた時点から、それぞれの中の恐怖がそれぞれの具体性を育むことになるからである。
 例えば、ある学校のトイレに”花子さん”がいると言う噂が広まったとする。具体的にどこの学校であるかは、この際重要でない。”学校のトイレ”と言う特定の場所の”花子さん”に対する集団の恐怖が生じた時点で、それぞれの具体性を伴って確実に”花子さん”は存在する。
 そう言う意味においては、誤解を恐れずに言えば、”神”と”魔”とは同じ存在であると言える。両者の違いは、ただ相対的に”善”であるか”悪”であるかの差でしかないのだから。
 もっと言えば、善悪が相対的なものであるからには、彼らに対した人の感情や道徳心のあり方の違いで、同一のものを”神”であると感じたり、”魔”であると感じたりしているだけかも知れない。
 いずれにしても、恐ろしくて知る能わざる存在が、”魔”であり”神”であることに違いはない。
 別の見方をするならば、彼らは意図的にそう言う曖昧な位置に居り、”知る能わざる存在”なるが故に、超越者として我々の日常に介入することを宿命付けられたモノたちなのかも知れない。

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