初編二冊目
この頃、京の室町の辺に小間物屋の雛右衛門と言う者がおりました。
元は越後の者でしたが、大層若い頃から京に上って商家に奉公して年季が明けたので、その親方の助けでこの辺りに小間物店を開いてから、お得意様も沢山できて名の知れた者となっておりました。
この雛右衛門と新潟の四太郎は竹馬の友である上に、縮商人夏兵衛も同郷のよしみだったので、毎年夏京に上って縮を売る際には、この雛右衛門の家を宿として四、五ヶ月逗留するのを常としておりました。
四太郎はこの伝手を頼り、この度亀菊を京に帰すに当たって、商いのために京に上る夏兵衛に頼み、また雛右衛門に書状を送って亀菊のことを任せ頼みました。
そして、亀菊は夏兵衛に伴われて京の小間物屋に着きましたが、雛右衛門は亀菊に対面して心に思うには、
「この亀菊は、元は都で客をたらし込み、何人もの若者の財産を使い果たさせた白拍子だ。このような者を我が家に留め置くのは面倒の元だ。しかし、故郷の四太郎が遙々と頼んで寄越した者ではあるし、四太郎の親御にはわしも恵みを受けたこともある、流石に否とは言い難い。さて、どうするか。」
と思案をしながらも、大変まめまめしくもてなし、四五日経ってから亀菊を招き寄せ、
「あなたは私の竹馬の友が頼み寄越した人なので、何時までここに居ても少しも嫌ではありませんが、ご覧の通り我が家は何かと忙しい商人で、とてもあなたの立身出世の手助けもできません。六条の辺の医師深根長彦と言う人は、公卿殿上人※注1に招かれて、広く治療をされますが、私も長年お付き合いがあるので、あなたのことを深根様にお頼みしようと思っております。この話、如何お思いでしょう。」
と問うと、亀菊は少しも迷わず、
「誠に不思議なご縁でこのようにお世話になっておりますのに、どうして拒んだりいたしましょう。勿論お受け致します。」
と答えたので、雛右衛門は翌日長彦に書状を送り、亀菊に小者を付けて深根の家に使わしました。
そして、長彦はその手紙を読むと、
「この女の宮仕えが叶うまで、そちらへ留め置き頂いて、宮仕えの手引きをして頂きたい。衣食の出費は、万事こちらで負担いたします。」
と書かれているのを繰り返し読み終わって、腹の内で思うには、
「この亀菊は名の知れた色っぽい女なので、我が家に置いておけば若い弟子どもの身のために良ろしくあるまい。良い方法があるぞ。」
と一人頷いて、やがて返事を書いて小間物屋の小者を帰し、亀菊に対面して、
「そなたは、楽器の腕前によって高貴な方の所へ宮仕えをお願いすれば、きっと望みが叶うであろう。今、坊官※注2で一、二を争う法眼顕清と申される方は、院の御所に仕えて勢いのあるお方じゃ。その方のところで、楽器の上手な女を召し抱えたいと申されている。わしは近頃、医療の腕を買われておるため、その話を耳にして、丁度そのような者を探していた最中なので、宮仕えの手引きをするのは容易いこと。しかし、先方のお好みでは十六歳ほどの未婚の娘をと予てから注文されていたが、既婚ではどうであろう。他の事は問題ないのだが。」
と言うと亀菊は微笑んで、
「歳は十九になりましたが、女は粧いようにも因りましょう。先方へは、十六か十七とでも申し上げてくださいませ。」
と言うのを長彦は喜んで、翌日顕清の屋敷に行き、上手く言い繕ったので、お目見えの日も決まりました。
その日になると、亀菊は大島田に振袖※注3の着物を着て、長彦に伴われて顕清の屋敷に行きました。
亀菊は元々白拍子だったので、扮装慣れしたその装いは、まるで十六歳の乙女の様に見えました。
その日は老女が出て来て、亀菊の芸能を試しましたが、琴・胡弓・笙、また流行の舞い・唄いまで秘術を尽くしたので、顕清は障子を隔ててこれを聞きながら、大変感心して喜びました。
お目見えの結果が上手く行ったので、三四日を経て亀菊は顕清の屋敷に移り住み、腰元の舞姫たちに混じって勤めていましたが、早くも主人の心を知って、大層甲斐甲斐しく振る舞ったので、顕清も益々喜んで可愛がり、重要なことは皆亀菊に言い付ける様になりました。
そもそも一院(後鳥羽院を一院とも申しました)ご寵愛の尾弘の局と申される方は法眼顕清の娘で、朝仁親王と申される皇子をお生みになられたので、父親の顕清にも自然と勢いがありました。
常にご自身院の御所に参上して仕えておりましたが、和歌を好んで詠み、古い書蹟を好んだため、珍しい物を集めようと思っていると、近頃紀貫之※注4の自筆の『土佐日記』、また凡河内躬恒※注5の短冊など多くを得たので、ある日お話のついでに、
「顕清はこのようなものを手に入れました。」
と誇らしげに申し上げると院はお聞きになり、
「それは珍しいな。送って見せよ。」
と仰せになりました。
顕清は大層喜んで家に帰り、翌日尾弘の局宛にその話を手紙に書き、例の古手蹟を帝にお見せする準備するに当たって、
「この使い役には心利いた女子でなくては。」
と思ったので、亀菊を呼び寄せて役目を心得させ、手紙を持たせて院の御所へ遣わしました。
かくして、亀菊は下の者に唐櫃を担がせて、尾弘の局の元に行くと、取次の女中が出て来て、
「尾弘のお局様は院のお召しで梨壺におられます。座をお外しになるには、まだまだ時間が掛かりましょう。ゆるりとお待ちくださいまし。」
と言うのを亀菊は押し返して、
「これは私事のお使いではございません。御所様へ差し上げます物を持って参ったのでございます。この事を早くお伝え下さいますよう、お願い申し上げます。」
と、只管乞い求めたので、
「左様でしたら、梨壺に行って、また取次を頼まれるのがよろしいでしょう。これを持ってお行きくださいまし。」
と言って、切手形の木札を亀菊に渡し、唐櫃を召使三名に担わせて折戸口まで運ばせました。
さて、後鳥羽院は文の道を好まれて、お詠みなされる歌が素晴らしいのは言うまでもなく、また武の道をも好まれ、その上様々な遊び事さえ一つとして不得手なものはございませんでした。
しかし、女御・更衣の高貴な方々に親しまれずに遠ざけ、身分の低い下賤の女であっても美しくて一芸に秀でた者はお側近くに侍らせて、お遊びのお相手とされましたが、
「香・立花はそれほど興味がない。蹴鞠はとても面白いが、女子に蹴鞠をさせるのは可哀想だ。蹴鞠の遊びに代えるには、下賤の子供らが春にする羽根つきが良かろう。」
と言って、只管羽根つきをやっておられましたが、その作法をご考案されて様々に手を尽くされたので、上を学んで下々の者まで羽根つきの遊びを第一として、都から田舎まで流行りました。
それはさておき、亀菊が梨壺の辺りまで参上して取次を探すと、この時院が尾弘の局やその他の官女に混じって羽根つきに興じていたため、取り次ぐ者もおりませんでした。
やがて、院は瀧子と言う舞姫が突き渡した羽根を羽子板で撥ね返そうとされましたが、亀菊が出世するべき時運が至ったのでありましょうか、その羽根が逸れて築垣※注6の戸の方へひらひらと飛んで、折戸の向こうに畏まっていた亀菊の頭の上に落ちて来たので、亀菊はここぞとばかり少しも間を置かず、右手に持った切手の札でその羽根を丁と受け、舞雲雀と言う技で二つ三つ四つと突き上げ突き上げ、様子を見て向こうにいた院に突き返したので、院は大層感心されて、
「築垣の向こうにいて、朕が逸らした羽根を突き返したのは何者か。尋ねて見よ。」
と仰せられので、一人の女官が折戸を開いて亀菊に会釈して、ここに来た理由を尋ねると、亀菊は恭しく、
「私は法眼顕清が貫之・躬恒の筆跡をご覧に入れんがため、尾弘のお局様にお伝えした、その品々を奉ります使い女にて、亀菊と申す者でございます。先程局に参上したのでございますが、梨壺の方におられたある女房に伺いましたため、ご覧に入れる時が遅れるのが惜しくて、切手を頂いたものの様子が判らず、ここまで推参いたしましたが、折からお遊びの最中と思われ出て来られる人もいなかったため、暫く待っておりました。」
と恐る恐る答えるのを院は遠くからお聞きになり、
「顕清の使いであれば苦しゅうない。その者を呼べ。」
とお側近くに招き寄せられ、その顔をご覧になると大層艶やかな女でしたので、忽ちお気に入られて、
「そなたは羽根つきが大変上手いな。突いて見せよ。」
と仰せられ、亀菊が二度三度固辞するのもお許しになりませんでした。
そうとあっては畏れ多いと、亀菊は漸く立ち上がり、飛ぶ鳥・蝙蝠・嵐の木の葉・燕返りなどと言う技を使って、秘術を尽くして突いたので、院は益々ご感心遊ばされ、
「まだ他にも覚えている芸はあるか。」
とお尋ねになると、亀菊は
「笛や琴の技・男舞は幼い頃より習いましたが、拙い限りでございます。」
と申し上げました。
「ならば必要な者だな。朕に仕えよ。」
と仰せられ、尾弘の局に預けられて、遂に帰ることをお許しになりませんでした。
その夜もお遊びの席にお召しになり、舞い唄わせてご覧になるといずれも堪能な者だったので、ご寵愛一方ならず、お側から放しませんでした。
顕清はこんなことになっているとも知らず、その日亀菊が帰らないのを不審に思い、翌日院の御所に参上してご機嫌伺うと、院はお笑いになり、
「昨日は予ねての約束の珍しい書などを見せてもらったのだったな。ついては、その使いの亀菊とか言う者は遊芸に秀でた女子なので、今から朕に仕えさせよ。まず暫くは尾弘の局を局親にしようと思う。朕は貫之の筆跡よりも、この亀菊が欲しいのだ。」
と戯れながら仰せられました。
顕清はこれを承って、
「亀菊が心利いたご寵愛の者となれば、我が娘尾弘の局のために良いことはあるまい。」
と心の中で大変悔しく思いましたが、今更どうしようもないので、
「誠にかの者にとっては幸運、大変ありがたいことでございます。」
とお答え申し上げ、苦笑いして退出いたしました。
かくして、院は間もなく亀菊を五節の歌書きと言う役人になされ、その上女武者所の別当を兼任させなさったので、権勢は典侍※注7と等しく、果たして尾弘の局を初め、院のご寵愛を受けた女房たちは皆悉く勢い衰え、後宮全て顔色もなきが如く、亀菊一人に気圧されておりました。
さてまた、少し前から禁裏・院中には北面の武士を置いて非常に備えていましたが、後鳥羽院の御時にまた西面の武士を置かれて、その上国々から武芸力量の優れた女を呼び寄せられて女武者所に置かれ、女武者を預かる女官を武者所別当と称しておりました。
しかし、その女武者たちは、或いは縁故を求めて、不正行為によって選ばれた者たちだったので、大した武芸のない者も武者所におりましたが、一人綾梭と言う女だけは武芸十八般に秀で男も及びませんでした。
故あることか、綾梭の父は筑井兵衛太郎と言う関東の武士で、武芸に秀でているとの噂があり、先に都に召されて西面の武士となっていましたが、先頃亡くなりました。
そして綾梭は女ながらも父の武芸を受け継いで技量優れた者だったので、院の御所に仕えて武者所に勤めておりましたが、長らく病に侵されて、家に戻って籠もっていたので、亀菊が武者所の別当になったと聞いてもお祝いを述べることができませんでした。
亀菊は綾梭が挨拶に来ないのを訝しんで女官たちに理由を問うと、
「かの者は長らく患って家に籠もっております。」
と答えると、亀菊はそれを聞いてあざ笑い、
「その者、死ぬほどのことはあるまいに、それでも引き籠っているのは、わらわを密かに侮っているに違いない。よしよし、そのつもりなら考えがある。放って置くがよい。」
と言う様子がただ事でなく見えたので、女官たちは密かに危ぶんで、やがて人を走らせて綾梭に事情を告げると、綾梭も驚いて、やむを得ず病を押して出仕して亀菊に会えば、亀菊は只管口汚く罵って、
「そなたの親、筑井の兵衛は大した武芸もない者だったが、鎌倉からの推挙によって西面の武士になれたことすらこの上もないご恩であるのに、ましてやそなたのへぼ武芸を筑井の子だと思えばこそ女武者とされた身の程もわきまえず、仮病を申し立て、わらわを侮る不敵さよ。さっさと六波羅※注8に引き渡して罪を糺そうぞ。」
と怒るのを同輩の女官が諌めて、
「別当様、今この上もない官職に就かれて、誠にめでたい事の始めに人を罪に落とされるのは良い兆しとも思えませぬ。願わくば、綾梭の怠慢をお許しください。」
と代わる代わるに詫びたので、亀菊は漸く怒りを納めて、
「ならば今回だけは許そう。今後、また間違いがあれば、絶対に許さぬぞ。」
と言った時、綾梭は初めて頭を上げて亀菊の顔を見ましたが、何と自分の支配の別当となったその女官は、以前父兵衛と六波羅に住んでいた頃、何となく見知っていた白拍子の亀菊だったので、心の中で大変驚いて、やがて家に帰って母に事情を告げ、
「あの亀菊は以前、白拍子だった時にも多くの人を損なったのに、まして今は院のご寵愛を蒙っているので、かの者が憎いと思う者に安穏はありえませぬ。そのため、私はかの者のために遂に無実の罪を得るでしょう。如何したものか。」
と嘆くと、母親はそれを聞いて驚き、
「そのような時にうかうかと都に居ては大層危険ではないか。『三十六計 逃げるに如かず』※注9と言う通り、親子で密かに他郷に逃げようとは思っても、私には脚気の持病があるので、道一里とは行けまい。情けない老いの身よ。」
と言い掛けて早くも涙ぐんだので、綾梭は母を慰めて、
「そのように思われますならば、私に密かな考えがございます。かくかくしかじか四角いムーブ...」
と囁くと、母親は頻りに頷いて、暫く無駄話に時を費やしました。
そして、綾梭は近所に馬子の鞍八と言う者がいたので、その夕暮れに招き寄せ、
「私の母は脚気の持病があります。私もまた、先日来長らく病に侵されて、漸く平癒しましたが、石山寺※注10の観世音に以前掛けた願を解きに、母と共に明日辺り参詣しようと思います。しかし、我が母は駕籠・乗物を嫌われるため、馬にでも乗せて連れて行くより他にありません。馬の口取りはこちらにおります。良い馬があれば、明日一日貸してくださいませ。」
と演技すると、鞍八は心得て、
「幸い良い馬がいるよ。駆けるのには向かないが、鞍の上で静かに遠乗りするには持って来いだ。前に五両で売ろうとは思ったが、売りかねて飼っていたのさ。今夜からお貸ししやしょう。」
と答えて家に帰り、その馬をひいて来て貸したので、綾梭は大層喜んで、次の日朝早くに母親を馬に乗せて、家の下男の留守介と言う者に馬の口を取らせながら、石山の方角に向かって三里ほども行った時、留守介を出し抜いて家に帰し、綾梭は馬を追い、道を引き違えて木曾路の方へ走りましたが、尚も追手が掛かるかも知れないと思い、髻を切って姿を変え、頻りに道を急ぎました。
これより先に綾梭は母親を馬の乗せて、石山の方角に向かって三里ほど行った時、馬の口取りの下男留守介を忙しげに呼び止めて、
「あぁ、どうしよう。忘れたことがあった。今朝忙しさに取り紛れて、石山寺へのお布施物を持って来なかった。そなたはここから引き返して布施物を取ってくるように。それはしかじかの所にある。しかし、我ら母子は今夜御堂で通夜するので、そなたは急いで来るには及ばない。今夜は家で休息し、明日早朝迎えに来るように。そして来る時に、馬子の鞍八に確かに届けるのです。」
と言い付けて、大層固く封をした文箱を渡したので、留守介は心得て、そこから家に立ち返り、言われた所は勿論、あちこち探してましたが、布施物と思われる物はありません。
そしてまた、翌朝も残る場所なく探しましたが、それと思う物もなかったので、方策が尽きてそのまま石山寺に迎えに行くと、綾梭母子は御堂におらず、心がいよいよ疑い迷って堂守に尋ねると、
「通夜をした者はいません。」
と答えました。
このため留守介は虚しく京へ帰りましたが、三条の橋詰で鞍八と行き会いました。
その時鞍八は留守介を呼び止めて、
「判らんことがある。貸し馬の代金は一日五百文と決めたのに、今朝お前に持たせなさった文箱を開いて見ると、中には黄金五両あって馬の代金と書かれていたぞ。つまり、昨日貸した馬を買い切りにしようと言うことかな。怪しいこと限りないので、参上して伺おうと今出て来たところよ。お前は訳を知ってるかい。」
と問われて留守介は眉をひそめ、
「実は思い当たることがある。その理由はかくかくしかじか四角いムーブ...」
と、綾梭親子が石山寺に参詣しなかった事情の終始を説明して、
「察するに、おらの旦那は親子密かに示し合わせて逐電したに違いない。何とお気の毒な。」
と囁くと鞍八も驚き呆れて、その日は留守介と一緒にあちこちを尋ね回りましたが、全く行方が判らなかったので、留守介はやむを得ず、ある人に語って、この件の事情を女武者所に申し上げ、鞍八はまた、六波羅の決断所※注11に訴えました。
そうこうするうち、亀菊は綾梭が母と一緒に逃亡したと聞いて、益々憎んで怒り狂い、急に院の仰せと称して六波羅へ命令を伝え、
「綾梭親子を召し捕って参れ。」
と催促しました。
これにより、六波羅決断所の伊賀判官光季は、手下を四方へ向かわせて綾梭を追わせましたが、既に三日経っていたので行方は途絶えて判りませんでした。
このため、光季は留守介と鞍八を呼び寄せて、尚も詮索いたしましたが、彼らは知らぬことなので、どうしようもなくて止めとしました。
この時、世相を嘆いた物知りがある人に囁いたことには、
「昔、鳥羽院のご治世の頃、美福門院のお沙汰で賞罰に不条理が多かった。そのことにより、のち保元の乱が起き、崇徳院は流罪となられた。今はまた、亀菊が院のご寵愛を蒙って、政治に不条理が多い。それだけでなく、鎌倉には頼朝の後家である政子が、武家の賞罰を執り行って尼将軍と称せられている。つまり、都も鎌倉も、全て女の沙汰によって世の中の勇婦・賢妻で無実の罪に絶えられず、世相に怒りを覚える者もおろう。しかしながら、これはその昔、立木の局が誤って傾城塚を発いた祟りに違いない。」
と言ったとか。
留守介・鞍八たちについては、この後には物語はありません。
さて、綾梭は髷を切って姿をやつし、母を乗せた馬を追って信濃路へ向かい、小道・枝道を際限もなく、山また山の旅路を重ね、信濃国水内郡戸隠山の麓を通り掛かりましたが、日も暮れようとする頃に思わず宿を取り遅れて、あちこちと探していると、道から一町ほど引き入れた木立の下に、素朴な門が見えたので、漸く辿り着いて一夜の宿を求めると、主人は六十歳くらいの老人で、情け深い人だったので、快く引き受けて召使の女たちに命じて綾梭親子に風呂を使わせ、夜食を勧めて馬にも秣を与えるなど、懇ろにもてなしたので、綾梭親子は情に感謝して寝所に入って眠りました。
その翌朝、主の老人は早くから起き出していましたが、日の昇る頃まで旅の女がまだ起きなかったので、屏風のこちら側から咳払いをして、
「さぁ、お起きなされ。もう夜は明けましたぞ。」
と、言う声を聞いて綾梭は忙しげに走り出て、
「私は早く起きておりましたが、近頃の旅の疲れのせいか、母が明け方から癪を起して苦しんでいるのです。」
と言うと主人は驚いて、
「それは大変お困りのことじゃろう。幸い、我が家には癪に効く妙薬がござる。飲ませて進ぜなされ。」
と言いながら、その薬を女たちに煎じさせ、頻りに勧めて労わり、
「旅先で病に罹るのは都合の悪いもの。何時までも逗留して静かに保養しなされ。」
と言い慰める人の情けに、綾梭親子は深く感謝してここに足を止め、暫く保養したので、およそ十日ほどで母の病は癒えました。
このため綾梭は、明日は早朝、以前から決めていたところは旅立とうと、泥に汚れた自分の脚絆を洗おうと思い立ち、裏口から出て見ると、傍の空き地で十七八の年頃と見える娘が男の格好をして、一人木刀で武芸の稽古をしておりました。
綾梭は暫くこれを見て、
「太刀筋に見所はあるけれど、危急の用には立たぬな。」
と独り言を言った声が漏れたのか、その娘は振り返って、
「そこの女め、何を言う。わらわの技と拙いと思うならば、いざ立ち会って勝負せよ。さぁ、ここへ来い。」
と激しく言い募る声を主の老人が聞きつけて、慌てて走り出て来ると、
「お女中よ、気になさるな。あれはわしの娘だが、生まれつきの性格か、機織などは一切せず、小さな頃から武芸を好んでまるで男のようなのじゃ。母はそれを苦に病んで一昨年の秋に死んでしもうた。じゃが、わしはあれの好きにさせて止めもせず、三人の師匠を付けて多少の武芸を習わせての。お女中も定めし武芸の心得があるようじゃな。この上はあれの望みなので撃ち殺しても構いませぬ。一太刀お相手くださらぬか。」
と只管請い求め、綾梭が三度辞退しても許さないので、
「しからば仕方ありませぬ。お相手いたしましょう。無礼はお許しくださいまし。」
と会釈をしたので、娘は、
「言うまでもないこと。」
と勢いも荒々しく、そのまま家に走り入って壁に掛けた薙刀と木刀を取って走り出て、
「長短、どちらでも好きな方を選べ。」
と言うと綾梭は微笑んで、
「わらわに武器の得手不得手はありませぬ。あなたからまずお取りなさい。」
と譲るのに怯まず、娘は樫の木で作った薙刀を引っ掴んで水車の如く振り回し、隙を見て打ち掛かろうとすると、綾梭は木刀で払い除け、付け入って一打ち打てば倒せるが、痛い思いをさせずに勝ちを取ろうと思ったので、あしらいながら二足三足退くと、娘は踏み込んで再び打ち掛かるところを、綾梭はすぐさま撥ね返すと、娘が持った薙刀は遥か後ろに消し飛んで、身体も横にばたりと倒れ伏したので、綾梭は木刀を捨てて走り寄って抱き起こし、
「痛みませぬか。怪我はありませぬか。お許しくださいまし。」
と会釈すると、娘は膝を立て直して、
「私は、眼がありながら人を見る目もなく身の程も知らず、大変なご無礼を致しました。お許しください。」
と平伏して我が身の過ちを詫びると、父である老人は感謝し喜んで綾梭に向かい、
「それがしは家代々村長を勤める陸見庄内と申す者でございます。また、この里は女郎花村と呼ばれ、どうした訳かは存じませんが、昔から男が少なく女が多いのでございます。また、北隣にある里を鬼無里村と申しますが、そこは男が多く、女が極めて少ないのでございます。このため昔より、かの村と我が里で婚縁を結んでおります。それがしは幸薄く、ただこの娘一人があるのみ。早くも年頃となりましたので、婿を取りたいと思いますが、只今ご覧の通り女子に似ず武芸を好んで人の妻となることを願わず、人もまた、その猛々しさを恐れて婿になろうと言う者もないので、縁談が調わないまま過ごしております。また、我が娘は何かと環龍の模様を好み、着物でも帯でも龍の模様のものを着るので、里人は皆浮潜龍衣手と渾名して呼んでおるのでございます。思いますに、あなた様は世の常のご婦人ではございますまい。願わくは真実を明かして、ここにご逗留頂き、娘に武芸をお教え頂ければ、この上もない幸せでございます。これ衣手、今日からこのお方をお師匠様とお頼み申せ。」
と言うのを衣手は喜んで、綾梭を伏し拝み、師弟の契りを請い願ったので、綾梭は拒む理由もなく、主親子に向かって、
「今は何をか隠しましょう。わらわは西面の武士である筑井兵衛太郎の娘で綾梭と言う者です。父の兵衛太郎が亡くなった頃、家を継ぐ男子がいなかったので、わらわが女武者所で召し置かれたのですが、斯く斯くのことによって亀菊に憎まれて、禍が身に迫ったので、やむを得ず母を伴い、父方の縁のある武田殿に身を寄せるため、わざと小道を選んで宿を取り遅れた夕暮れに、ご恩恵を受けたのみでなく、思いがけない母の病をゆっくり保養させて頂き遂に完治しましたことは、一方ならぬご厚情に因るものです。これほどして頂いたご恩返しに、私の覚えた技の限りはご息女にご指南いたしましょう。衣手殿が今まで習われて来た太刀筋は、華やかであることを尊ぶのみで、危急の用には立ちませぬ。もう少し習われれば神妙の域に達されるでしょう。」
と言うと、親子は益々喜び、庄内は娘のために、その日酒宴を開いて綾梭親子をもてなし、師弟の契りを結ばせました。
やがて綾梭は父の兵衛が伝えた十八般の武芸の秘術を日々衣手に教えたので、およそ半年余りで衣手の武芸は上達して、馬鹿に出来ないほどに見違えました。
その様子に、綾梭はある日衣手親子に向かってこの半年のもてなしを喜び伝え、
「今は既に、衣手殿の武芸が上達したので、少しも欠点が無くなりました。この上は、以前から言っているように、明日袂を分かって、最初から目指していた武田殿の元へと赴こうと思います。」
と言うと、親子は懸命に止めて、
「願わくば、ここで一生お過ごしください。大したおもてなしはできませんが、兎にも角にもお二方をお養いいたします。」
と言いました。
綾梭は聞いて、
「別れは惜しく思いますが、とても止まれる身ではありませんので、明日は早朝に出立いたします。落ち着いた後には手紙で安否を問おうと思いますが、ご自愛なされよ。」
と懇ろに別れを告げて、止まる様子もなかったので、衣手は仕方なく父と相談して餞に砂金二十両を贈りました。
その翌朝、綾梭は長らく厩に飼われていた自分の馬を引き出して母親を乗せ、庄内と衣手に暇乞いして出発したので、衣手は一里ばかりも見送りながら、涙を流して別れました。
綾梭については、この先話はありません。
やがて今年も虚しく暮れた師走の初め頃、父の庄内は風邪の気配に暫く寝込みましたが、医療の効果もなく、遂に亡くなったので、衣手は嘆きながら野辺送りをして、丁重に葬りました。
しかし、この時まで、決まった婿がなかったので、長年仕える用人の螻蛄平と言う者を仮に庄屋代理として仕事を管理させ、衣手はなお綾梭に教えられた武芸だけを常々繰り返し、なすことも無く月日を送っていると、春になり夏が過ぎ、秋七月の頃となりました。
残暑が耐え難かったので、衣手は門の傍に竹の床机を置き、それに座ってただ一人、そよ吹く風を待っていると、表の方からきょろきょろと台所の辺りを覗く者がおりました。
衣手は素早く見つけて、
「そこにいるのは何奴か。」
と咎めると、その人は急に振り返って、
「いえ、横七でございます。」
と言いながら段々近付くのをよくよく見ると、時々来る木こりの横七でした。
衣手は嘲笑って、
「この夕暮れに何事か。きょろきょろとそこらを覗くのは、弱みでも探そう魂胆か。」
と言うと横七は、
「いえいえ、何でもございません。ここの男の衆鋤蔵を誘い出して一杯やろうと思って来るのは来たけれど、あなた様がそこにいましたので、呼び損ねて隠れていただけでございます。」
と言うと、衣手は表情を和らげて、
「それはそうであろうが、そなたは毎年夏毎に、猪茸・岩茸・椎茸などを折々持って来て売っていたのに、今年は何で持って来ないのじゃ。」
と問われて横七は、
「こう言うことでございます。きっと聞いておられることと思いますが、近頃戸隠山に三人の鬼女が棲むようになり、夜な夜な近隣に出没しては人を殺し、宝を奪っているのでございます。その猛々しさと言ったら、半端じゃございません。昔あの山に棲んでいた鬼女が維茂殿に討たれたのは※注12、たった一人と伝え聞いていますが、彼らは最初から手下が沢山おります。このため、守護・目代からは百貫文の褒美を懸賞金に出して彼らを捕らえようしていますが、誰も立ち向かう者がありません。こんな障りがあるので、猪茸どころか木を伐ることも叶わないのでございます。」
と告げるのを衣手は聞くと、
「わらわもまた、あの山に女盗人どもが棲むと聞かないこともなかったが、それほどのこととは思わなかった。もし良い猪茸・岩茸があれば持って来るように。」
と頼むと、横七は心得て暇乞いして帰りました。
こうして、衣手は思うところがあり、次の日酒食を用意して、村中の女どもを全て呼び集め、
「皆も予ねて知っておろう。近頃戸隠山の女盗人たちがあちこちの里を騒がせ、人を殺し物を盗むと、噂は既に有名である。彼らが我が村に押し寄せないとも限らない。わらわは女子と言えども、家は代々村長である。かつ、この村には男が少なく、しかも皆惰弱じゃ。奴らがもし押し寄せて来たならば、絡め捕って公儀へ引き渡そうと思う。皆も合図を決めて賊婦たちが来ると知ったら、早く拍子木を打って人を集め、力を合わせて働いて欲しい。武器は稲穂を打つ殻竿が一番だ。皆殻竿を用意して、一気に押し包んで打つのだ。その時わらわは先に進んで賊の大将を生け捕ろう。」
と手に取るように指し示すと、女たちは即座に、
「われらは愚かな者でございます。兎にも角にも、お嬢様の指図通りに従いましょう。」
と、皆一斉に答えたので、衣手は下男下女に用意の酒食を出させて、上戸には酒を飲ませ、下戸には餅を食わせたので、皆喜んで飲み食いして、各自家に帰りました。
ところでここに、近頃戸隠山に砦を構えて、自分たちを鬼女と言い触らし、多くの手下を集めた三人の賊婦がおりました。
その第一の頭領は、射干玉※注13の黒姫と呼ばれておりました。
これは最近、謀反によって滅んだ城小太郎資盛※注14の家来だった者の後家で、歳は三十五六くらいでしょうか。
大した力がない代わりに思慮深く、謀略を好みました。
第二番目の頭領は、越路の今半額と渾名されていました。
これもまた、資盛の残党で、力が強く武芸を好みました。
第三番目の頭領は戸隠の女鬼と言いました。
これも近頃滅んだ梶原※注15の残党で、力強く心は剛直でした。
この三人の悪女は、身の置き所のないままに、戸隠山に立て籠もって多数の手下を集めて、それぞれ異形の格好をして近隣の里を脅かし、人を殺し物を奪って山の砦に蓄えていました。
さて、黒姫・今半額・女鬼らの三人の賊婦はある日酒盛りをしていましたが、今半額が言うには、
「この頃、我が砦は兵糧が乏しくなっている。どこかで働いて、兵糧を取り入れることが重要じゃ。」
と言うのを女鬼は最後まで聞きもせず、
「ならば川中島へ行って多くの米を借りて来よう。今すぐ行こう。」
と逸るのを黒姫は押し止め、
「川中島で働けば、その道は便利だが、どうせなら黒姫山から近道を越えて越後の国に行こう。その理由は...」
と利害を説いて諭しましたが、女鬼はしきりに苛立って、少しも聞きませんでした。
さて、この下りのやりとりは第五巻で詳しくご説明いたしましょう。
およそこの度の新板の初版は全てで八冊でしたが、長い物語はご退屈と思って四冊ずつに分けました。
またこの次をご覧頂いて、二編三編とその先の、先々までもご批評頂ければ幸甚至極。※注16
※注1:殿上人には公卿も含まれますが、気にしないでください。馬琴先生の表現上、ここは強調したかったのか、響きとして重ねたかったか、どっちかでしょ。
※注2:院に仕える事務官っす。建前上、院も出家なので、近侍も僧形ってことで、法眼なんて僧位を持ってるんですな。
※注3:島田髷も振袖も、江戸期の娘の一般的なもの。物語の舞台は鎌倉時代初期ですが、風俗その他は江戸時代っぽいっす。ちなみに、今の花嫁さんの髪型文金高島田も、これの変形っす。
※注4:ここにも出てる『土佐日記』の作者。元祖おねぇキャラと言えなくもない(笑)『古今和歌集』の選者で三十六歌仙の一人って歌人っす。
※注5:貫之と同じで『古今和歌集』の選者、三十六歌仙の一人でもあるっす。現代語では「おおしこうちのみつね」と読んでね。
※注6:土で固めて瓦屋根を乗せた土塀。所謂、築地のことっす。
※注7:典侍自体は官職名ですが、ここでは院の愛人の一人のこと。但し、誰かは不明。”内侍”を名乗る該当者数名あり。
※注8:さて困った...これ、六波羅探題のことだと思うんだけど、これが置かれたのは承久の乱の後。承久の乱は、後鳥羽院の起した倒幕運動で、その戦後処理で院は隠岐に配流。つまり、現在の展開上、まだない筈(^_^;ま、小説なので気にしないで(笑)
※注9:『三十六計』の第三十六計、「走為上」っすね。
※注10:今の滋賀県大津の真言宗の寺。観音霊場として有名っす。奇しくも『忠臣水滸伝』で最後に大星らが聚まったのもここでしたね(笑)
※注11:もうダメ(笑)決断所って建武の新政でできたお役所っす。そもそも馬琴先生、『新編水滸画伝』と違って、『傾城水滸伝』はお遊びで書いたって自分でも言ってるからね(笑)
※注12:戸隠の鬼女紅葉を平維茂が退治した伝説っす。謡曲や能にもなってるっす。
※注13:”ぬばたま”と読みます。「黒」に対する枕詞っすね。
※注14:越後の平氏一門。平氏滅亡後は源氏に仕えていたけども、実際謀反を起したっす。資盛のおばさんが巴御前と並び称される武勇の誉れ高い坂額御前っす。越路の今半額の”半額”は、字が違うけどこの人のことっす。
※注15:梶原景時のこと。初期からの鎌倉の御家人だけど、頼朝死後に御家人衆との対立から追放され、謀反を起して滅ぼされました。
※注16:本の最後に、こう言う商売っ気の文言が入る辺りは、江戸期の本の面白さっすね(笑)