少華山
水滸伝の好漢たちの最初のエピソードとなるところじゃ。
華陰県史家村に住む史進は、付近では有名な腕の持ち主じゃったが、所詮井の中の蛙じゃ。たまたま立ち寄った開封の八十万禁軍槍棒教頭の王進に叩きのめされ、弟子となって武芸十八般を仕込まれた。
王進が去って暫くすると、少華山の山賊の一人陳達が仲間の朱武・楊春が止めるのも聞かずに史家村を通ろうとしたんじゃ。呆気なく史進に捕まった陳達を助けようと、朱武・楊春は一緒に役所に突き出してくれと史進の元に行ったんじゃが、義に篤い史進は意気投合して三人と友達となったんじゃ。
ところが近所の猟師の李吉にタレ込まれ、三人と酒宴の最中に官憲に踏み込まれてしもうた。史進は屋敷に火をかけて、三人ともども官兵を斬り伏せて、少華山へと逃げたんじゃ。
この時は、史進も山賊にはならなかったんじゃが、王進を捜しに行って見つからなかったのもんじゃから、結局ここの頭領に納まったんじゃよ。
青州戦の後、史進と知り合いだった魯智深が梁山泊入りを誘いに来たんじゃが、この時史進は華州の牢に捕まっておっての。助けに行った魯智深も捕まってしもうて、梁山泊一党が西嶽廟への勅使宿太尉を使った策で助け出して、少華山組は仲間入りしたんじゃ。
ちなみにここから西北西に向かって川上を300kmくらい行ったところに渭州の街があるんじゃよ。
そう、史進が王進を尋ねて行って会えなかったけども、魯達(魯智深)や昔の武芸の先生の李忠とであったところじゃな。
魯達(魯智深)はここで、鎮関西の鄭屠を拳骨三つで殴り殺して、五臺山の側の代州雁門県まで逃亡したんじゃよ。
ちなみにちなみに、渭州も代州も王進が行った延安も、西夏または遼との国境に近い、言わば辺境の最前線の街じゃな。