<月下對酌>
たまには屋外で呑む酒もいいじゃろ。今宵は日も善し、月も佳し、風流しようぞ。
東京へ...
さて、例の石版の事件の後、席次も山での役割も決まって暫くは好漢たちにも平穏な日々が続いておったんじゃが、ある時東京へ元宵節用の燈籠を運ぶ役人が梁山泊のそばを通りかかった。
田舎から出たことの無かった
宋江
は、東京開封府の
元宵節
の祭り(旧正月十五日)が見たいとだだをこねたんじゃな。
呉用
たちの反対を押し切って、
柴進、燕青、李逵
たち十人の一行で
開封府
へ向かったんじゃよ。
見物に城内に入った
宋江
は、通りかかった店が天子の馴染みの売れっ子遊女
李師師
の店だと聞くと、天子さまに衷情を訴える機会だと考えたんじゃな。
燕青
に渡りを附けさせ、
李師師
に会っているところへちょうど
徽宗
がお忍びでやって来て、打ってつけの場面だったんじゃが、この時
李逵
が暴れ出しおった。
いつものことじゃが、
李逵
が来るとなんでもおおごとになるの。
李師師
の家に火を付けて大暴れしたもんじゃから、大騒ぎになって一同は梁山泊へ引き上げたのじゃ。
それから梁山泊では何事もなく日を送っておったが、相撲自慢の
燕青
が泰山の奉納相撲に出場したいと言い出しての。
李逵
と連れだって泰山に行くことになったんじゃよ。
相撲では二年間負け知らずの大男、
任原
を倒した
燕青
じゃったが、またもや
李逵
が大暴れ。
泰安州では事件を中央に報告したんじゃが、先の元宵節の事件もあって朝廷で対策を協議した結果、梁山泊一党を帰順させ、対遼戦に充てようと言うことになったのじゃ...
勅使来る...
梁山泊への
招安
の使者は
陳大尉
と言う方だったんじゃが、余計なことに蔡太師、高殿帥の腹心を連れていったんじゃ。済州太守
張叔夜
の忠告も聞かずに二人を伴ったのじゃよ。
こちらは梁山泊。
宋江
は招安と聞いて大喜びだったが、
呉用
を始めほとんどの好漢連中は招安に反対での。就中
呉用
はよしんば招安を受けるにしても、何度か官軍を叩きのめして、力を見せつけた後でなければ効果がないと考えた。そこで幾人かの頭領たちに一計を授けて、勅使を待ち受けたんじゃ。
そんなこととはつゆ知らず、威張り散らしてやってきた
陳大尉
一行は、
阮小七
に船底の栓を抜かれ恩賜の御酒も置いたまま、金沙灘へと向かったんじゃ。
阮小七
は御酒をすっかり空けてしまい、替りにどぶろくを詰めて忠義堂へと運んだんじゃ。
さて、いよいよ詔書読み上げて見ると、如何にも不穏な内容じゃった。好漢連中怒るまいことか、恩賜の御酒もどぶろくだと知って、一触即発の状況となってしもうた。
驚いた勅使一行は転げるように逃げ帰って行ったんじゃが、これは梁山泊一党とは天敵関係の
蔡太師、高殿帥
にとっても勿怪の幸い、早速
童貫
を梁山泊討伐に向かわせることとなったのじゃった...
官軍来襲...
さぁ、大軍を率いた
童貫
じゃったが、梁山泊も手ぐすね引いて待っておった。一戦して大敗し、再戦して惨敗した童貫は全軍の三分の二を失って、都へ落ち延びて行ったのじゃ。
じゃが、そこは
四姦
のこと、天子にまともな報告などするわけがないの。気候と兵を渡すための船が無かったからと言い逃れて敗戦のことは言上せずに、再度
高太尉
が新たな将卒と水軍を率いて征討に行くことと相成った。
緒戦の結果は、陸戦では大将を何人か討ち取られたものの大した損害を受けなかった官軍じゃったが、水軍はほとんど壊滅状態で為す術無しでの。徐京の推挙した
聞煥章
を軍師として迎えることに決めたのじゃ。
一方、解放された捕虜の将軍から招安の際の一部始終を聞いた朝廷では、再度の勅使派遣を決定したが、和戦両様の構えじゃった。
下された詔書を見た
高太尉
は一計を案じ、詔書の読み方を変えて宋江を亡き者にしようと考えた。正義感の強い
聞煥章
は反対したが、聞き入れるものではない。
あっさり
呉用
たちに見破られ、反撃された
高太尉
は
蔡太師
に密書を送ったんじゃ。
蔡太師
はあることないこと
徽宗
に奏上し、援軍の派遣が決定された。
高太尉は
葉春
と言う船大工の薦めに従って、巨大な海鰍船を建造して再戦に望んだにも拘わらず、やはり大敗してしもうて、遂に聞参謀共々捕虜となったのじゃ...
招安...
捕虜となった
高太尉
は
蕭譲、楽和
を天子に目通りさせる約束をして、二人を連れて釈放されたんじゃが、そんなことを信用するほど
宋江
たちもお人好しではなかったのじゃ。
宋江
たちに同情した
聞参謀
は
宿元景
宛の手紙を書き、それを持って
燕青
は開封府に向かった。
燕青
はまず、
李師師
に会い、
徽宗
に会わせて貰うよう手配りをして、直接徽宗に衷情を訴えたんじゃよ。更に
宿太尉
に聞参謀の手紙を渡した上で、天子への奏上を依頼したのじゃ。
宿太尉
は華州以来、梁山泊とは縁の深い大臣なのじゃよ。
その頃
蕭譲
と
楽和
は、実状を知られることを恐れ病と称して屋敷に閉じ籠もっていた
高太尉
に軟禁されておった。
燕青
は、
戴宗
と図ってこの二人も助け出した。よく働く漢じゃな。
斯くして実状をお知りになった
徽宗皇帝
は
童貫
を叱責し、
宿元景
を
招安
の使者として梁山泊に差し向けたのじゃ。
そして、
宋江
たちも今回は招安を受けて、一同うち揃って東京で天子と無事対面することができたのじゃ...
戦場へ...
宋江
たちは招安を受け、晴れて官軍となった訳じゃが、
四姦
どもは相変わらず権力を握ったままじゃったから、宋江たちが憎くて仕方がない。
碌な待遇も与えずに、天子に奏上して
宋江
たちを遼国征伐にと向かわせたのじゃよ。
対遼戦ではあと一歩で遼を滅ぼすところまで攻め入っていたが、四姦に手を回した遼の丞相によって和睦することとなった。
これほどの手柄を立てたにも拘わらず、宋江たちにはまだ官位授与などはなかったのじゃが、忠義に凝り固まった
宋江
はそんなことには頓着しなかった。そして、田虎征伐を命じるよう
宿太尉
からの奏上を頼んだのじゃ。
田虎
は河北で乱を起こした賊であったが、
宋江
たちの前では一溜まりもなかった。
田虎
は捕らえられ、降伏して味方となった将軍も引き連れての凱旋となったのじゃ。その中には、
張清
の妻となった
瓊英
も入っておったのじゃよ。
じゃが、
宋江
たちに席の温まる暇はなかったんじゃ。凱旋の途中、急遽王慶討伐を命じられた梁山泊の一党はそのまま開封府に寄らずに敵地へ向かうこととなったんじゃよ。
王慶
は元不良軍人だったんじゃが、ふとしたことから流罪となり、そこで役人を殺して次第に力を付けて反乱を起こした漢で、梁山泊の好漢と大差はないんじゃ。
宋江
たちは
王慶
をも討ち平らげたが、田虎戦で味方となった男たちが戦死しただけで、まだ梁山泊一党で欠けたものは一人としていなかった...
終末...
最後の討伐相手は江南の妖賊
方臘
じゃった。これより先、
公孫勝
は
宋江
たちに別れを告げ、修行のため二仙山へと旅立っていった。出征に際して、天子から
金大堅、皇甫端
を手元で使いたい旨お言葉があり、更に蔡太師は
蕭譲
を、王都尉は
楽和
をほしいと言ってきたのじゃ。
宋江
はやむなく承諾したんじゃが、なんとなく嫌な予感がしたことじゃろう。
最初に
宋万、焦挺、陶宗旺
が戦死してから、一人また二人と戦没する好漢は増えていった。
やっとのこと
方臘
を捕らえた時、その場にいたのはたった三十六人の好漢だけじゃった。凱旋途中も悲劇は続き、
魯智深
は六和寺で円寂、
楊雄、時遷、楊志、林冲
は病没し、
武松
は片腕を失ったので六和寺に残って寺男となった。
李俊、燕青、童威、童猛
は都に上らず、何処かに去っていった。実際に天子に拝謁した時には、わずか二十七人が残るだけだったのじゃよ。
生き残った好漢たちにはやっと官職が与えられたが、官位を返上するものは返上し、官途に付くものはついたのじゃ。
じゃが、これでも四姦は
宋江
たちへの警戒を緩めなかった。まず、
盧俊義
が毒を盛られ、続いて
宋江
にも毒酒を飲ませたのじゃ。
毒を飲まされたことを知った
宋江
は、急ぎ
李逵
を呼び寄せ、ともに毒を仰いだのじゃ。
李逵
を残して死ねば、必ず騒動を起こすと考えたのじゃな。こうして二人は死に並んで葬られたのじゃが、彼らの夢を見た
呉用、花栄
も宋江の墓の前で首を括って殉死したのじゃ。
ある日の
徽宗
の夢に現れた
宋江
たち梁山泊一党は、毒殺された旨を訴え夢はそこで覚めたそうじゃな。数日後、徽宗皇帝は四姦を叱責されたが、彼らを特に罰することはなかったと言う...
さて、これで水滸伝一巻の終わりじゃよ。ちと涼しくなったようじゃの。風邪をひいてもつまらんな。どれ、ぼちぼち今日は休むとするかな...
[もう呑めない、寝ましょう...]