風之巻
さて、それではまず、兵法の概要から講義を始めさせていただき申す。自己流の解釈でござるので、御質問、御意見、御教示等あらば、朱貴之酒肆まで、参られよ。お待ち致す。
兵法概説
諸子百家を御存じか?諸子百家の中で兵家と呼ばれる一派がござる。この兵家が説く戦争一般の方法論を「兵法」と申す。日本語で「兵」は「兵士」のみを意味いたすが、中国では「戦争」、「軍隊」、「兵士」のいずれの意味でも使われるようでござるな。つまり「兵法」とは、「戦争を行うための方法論」、「軍隊を動かすための方法論」、「兵士を管理するための方法論」を総括したものと申せよう。
このような兵法書の中で、孫子・呉子・六韜・三略・尉繚子・司馬法・李衛公問対の七つを特に武経七書と呼びならわしてござる。下をご覧あれ。
孫子:呉の将軍孫武の書。
呉子:戦国時代末期に魯、魏、楚で将軍となり、楚では宰相にまでなった呉起の書。
六韜:周の軍師呂尚の書と言われるが、定かでない。
「虎の巻」は六韜の中の虎韜から来ている。
三略:六韜同様呂尚の書と言われるが、伝説である。
別説に黄石公が張良に与えたとある。
司馬法:戦国時代斉の司馬穰苴の書と言われる。
尉繚子:秦の尉繚の書。
李衛公問対:唐の太宗と李靖の兵法に関する問答をまとめたもの。
それ以外で有名なものに、宋の檀道済の書と言われる『三十六計』がござる。ほれ、「三十六計、逃げるに如かず」のあれでござるよ。
孫子概説
これらの中でもやはり孫子は秀逸でござってな。洋の東西を問わず研究者が多いのも肯けると申すもの。日本でも、武田信玄が「孫子四如の旗」を軍旗に使用したのは、有名でござるな。
この孫子を書いたのは孫武と言われ、紀元前六世紀春秋時代の斉の人。呉王闔廬に仕え、伍子胥と共に楚と戦った方でござる。されど、『史記』の「孫子呉起列伝」には、呉王の後宮の美女を訓練する逸話があるのみ。有名な割りには、あまり記録がないのはどうした訳であろうか?
百年程後の末裔に孫ぴん(漢字は肉月に賓:足切りの刑の意味?)が出て、斉の軍師となり申した。「囲魏救趙の計」はこの人の策でござる。気が付かれたか?我が兄弟、関勝殿が梁山泊攻めの折りに使った、あの計略でござるよ。
”孫子”と呼ばれる人は、実は二人居られたと言うことでござる。
孫子の版本は宋代のものが最古と言われて居り申したが、1972年に山東省銀雀山の前漢代の墳墓から多数の竹簡が発見され、その中に「多少違う孫子」と「孫ぴん兵法」が含まれていて話題となり申した。現在、一般的に「孫子」と言われるものは宋代の版本を元にしているようでござるが、竹簡本「孫子」と多少の異同が見られ申す。
従来の「孫子」と竹簡本「孫子」との異同は量的にはそれほど大きなものではござらぬが、表現が逆になっている所等もあって、竹簡本「孫子」の方がより論理的に説得力があるように思い申す。尤も、読み下し文からの判断でござるから、翻訳上の問題の可能性もあると言えなくもありませぬな。
孫子構成
書籍としての孫子は、計篇・謀攻篇・作戦篇・形篇・勢篇・虚実篇・軍争篇・九変篇・行軍篇・地形篇・火攻篇・九地篇・用間篇の十三篇から成っており申すが、篇の立て方も従来の「孫子」と竹簡本「孫子」では違いがござる。篇の順序は別にして、各篇の概要を簡単に御説明いたす。
計篇 :開戦にあたっての熟慮、彼我の総合戦力比較の重要性を説く。始計篇とも言われる。
作戦篇:戦争を起こすに当たってのコストパフォーマンスについて述べる。
謀攻篇:「戦わずして勝つ」こと、謀略の重要性を説く。
形篇 :形に現われる兵を観察して、優位に戦うことの重要性を説く。
勢篇 :戦場での勢いの重要性について説く。
虚実篇:我の優位を確保して、我の実を以って彼の虚を討つことを説く
軍争篇:戦場設定の重要性について説く。
九変篇:九種類の臨機応変の処置について説く。
行軍篇:軍の進め方についての注意を説く。
地形篇:戦場の地形に拠った戦術及び兵の統率について説く。
九地篇:九種類の戦場での戦術について説く。
火攻篇:火攻めについて説く。
用間篇:スパイを使った情報戦略の重要性を説く。
孫子の注釈は世に多うござるが、現在に至るまで最も有名にして優秀な研究者は「あの」魏の武帝曹操でござる。三国志演義中でも各国の軍師と比肩するほどの軍略家として描かれており申すのは、各位御存じの通りでござる。
魏武注孫子とはこの人が孫子に注釈を付けたもので、さすがに実戦に裏付けられている分、学者の注釈より優れていると言われるのでござろう。最近訳本も出されましたな。
では、最初の講義はここまでといたす。では。