将之巻
神機軍師朱武であります。さて、ちょっと『孫子』が続きましたんで、趣を変えて『三十六計』なんて言うのは如何でしょうかな?
三十六計は題名通り、三十六通りの計略によって成り立っていますので、十二計ずつ三回に分けて講義いたしましょう。今回はその第二回目です。
第十三計 打草驚蛇(だそうきょうだ)
敵の動きが判然としない時、偵察を行って敵の実体を掴んでから行動しろと言うことです。「草を打って蛇を驚かす」と言う字義から言えば、小手調べの意図もあるでしょう。更には諜報戦によって敵の混乱を誘発すると解釈することもできます。
『孫子』でも盛んに情報の重要性を語っていますが、戦争を行う上では情報の有無が勝敗を分けると言っても過言ではありません。
また、敵の枝葉に当たる部分に仕掛けることで、敵本隊の動きを誘って敵の実勢を見ると言うのもよくある策ですな。
諜報活動と言えば、泊軍は実に優秀と言えます。祝家荘では石秀哥々が正しい道を探って来ましたし、曾頭市戦に先駆けて戴宗哥々が敵情視察をしてきた他、枚挙に暇がありません。小手調べ的な軍事行動もよくあることで、関勝哥々の梁山泊攻めに際して呉軍師はその実力を見るために一当てすべしと進言しています。また、盧員外救出の北京攻めでは、それに先駆けて偵察に行った石秀哥々が盧員外の処刑を止めるべく、梁山泊の兄弟衆が乱入したと虚報を流しました。まぁ、捕まりはしましたが...更にその後に公明大哥が盧員外石秀哥々になにかあれば皆殺しにすると書かれた文書を北京に撒いたのもこれに相当するでしょうな。
第十四計 借屍還魂(しゃくしかんこん)
有能な奴はこっちに都合のいいように動かすことはできないが、使えない奴は人を頼ろうとしますな。だから、向こうが頼ろうとするのを利用して、自分の都合のいいように動かしちまえ、と言う計です。
これもクールな計略ではありますが、自勢力を損耗せずに目的を達成しようと思うなら、有効な手段でしょう。原価が0で売り上げだけ上がるわけですからね。拡大解釈すれば、利用価値のあるものは貪欲に利用しろと言うわけですね。
華州で史進哥々と花和尚が捕らえられた時、呉軍師は力攻めをしないで偶然華山参詣に訪れた宿太尉を利用しようと図りました。宿太尉一行は勅使でしたから、泊軍の威圧の前では言いなりで、衣裳装備一式を提供しました。泊軍は宿太尉一行になりすまし、全く一方的に華州の賀太守を殺し、史進哥々たちを助けました。
これなどは『借屍還魂の計』と言ってもいいでしょう。
第十五計 調虎離山(ちょうこりざん)
敵が有利な地形を占めていて味方から手を出せないような時は、こちらから無闇に手を出さずに敵を誘き出せと言うことです。
一般に城攻めを行う場合の前提は敵の十倍の兵力が必要だと言われます。しかも損害が大きいので、城を攻めるのは下の下策だと『孫子』にも書かれていますな。敵が状況的に有利な条件を占めているのに無理矢理攻めるのは愚将の行いと言えましょう。その条件さえ取り払えば、対等もしくはそれ以上の戦力比となるならば、当然打つべき施策ですな。
江州で李逵哥々に打ちのめされた張順哥々は舟に飛び乗って竿で李逵哥々を突っつき、怒らせておいて舟に誘いました。張順哥々と言えば水中でも地上同然、陸では勝てなくても水中なら恐い物なしです。誘き出された李逵哥々は、哀れにも陸でのお返しに腹一杯水を飲まされることとなりました。
これは一対一でのことですが、ちゃんと『調虎離山』になってますね。
第十六計 欲擒姑縦(よくきんこしょう)
敵を捕らえようとするならば、戦略的に逃げるに任せて志気の低下、戦力の低下を待て、追撃も短兵急に行ってはならないよと言うことです。
この後に出てくる『関門捉賊』と逆のことを言っているようですが、こちらの計の方はどちらかと言うと定石ですね。『孫子』で言うならば、「囲師は必ず闕き、窮寇には迫ることなかれ」のことです。
理屈は簡単、敵に包囲された時、どこかに逃げ道があれば人情としてそこに向かって逃げたくなりますね。そうなれば軍としての統率は取れなくなるし、戦意は失われていますから、追う側から見れば格好の得物です。ところが逃げ道がないとなれば、万に一つの望みを懸けて囲みを突破して生き延びようと考えます。この状況は敵の意志を統一させることにもなって反撃力は増し、味方は逆に”囲んだ”と言う優越意識、つまり安心感が生まれて反撃された場合のダメージが大きくなります。
盧員外を梁山泊に誘き出して仲間入りさせようとした時、呉軍師は兄弟衆に命じて軽く手合わせさせつつ、盧員外の疲れを誘いました。次々現れる兄弟衆と戦いながら公明大哥たちの所に辿り着いた盧員外は花栄哥々の矢に驚かされ、呼延灼将軍たちの騎兵から逃れて水際まで行きました。そこで乗った舟は豈に図らんや、水軍の兄弟衆の罠でした。こうして捕まった盧員外は山寨に連れて行かれたのです。
これ以外にも対童貫戦の十面埋伏なども発想的にはこれの応用と言えるでしょうな。
第十七計 抛磚引玉(ほうせんいんぎょく)
敵の飛び付きそうな状況で誘って、出てきたところを撃てと言う計略です。これは所謂囮戦術ですから、『李代桃僵の計』に通じるものがあります。『李代桃僵の計』の基本は味方の損害をも有利に生かして戦略の一部にしろ、と言う意図が強いのですが、こちらは敵を誘き出すために囮を利用しろと言う意図ですな。『孫子』で言う、「利を以ってこれを動かし、卒を以ってこれを待つ」に相当するでしょう。
梁山泊に呼延灼将軍が攻め寄せた時、連環馬軍の破壊力に泊軍は手も足も出ませんでした。そこでそれを打ち破る鈎鎌槍の使い手の徐寧哥々を仲間に入れるため、時遷哥々は徐寧哥々秘蔵の賽唐猊を盗み出し、徐寧哥々を誘き出して遂に仲間に引き込みました。
林師範が陥れられた時も高太尉からの呼び出しと言う状況に引っ掛かったわけで、囮として使えるものはいくらでもあるわけですな。
第十八計 擒賊擒王(きんぞくきんおう)
これはどちらかと言うと策とは言い難いんですが、敵を潰滅させるには敵の中枢を撃破して主将を捕らえろと言うことです。逆に言えば、いくら敵の”手足”をもぎ取っても敵の”頭”を絶たなければ本当の勝利にはならないと言うことにもなりますな。敵の兵数が如何に多かろうと、敵の主将さえ討ち取れば所詮は烏合の衆、恐るるに足りません。そう言う意味では、敵の大軍に対して味方が寡兵だった場合の一発逆転の手とも言えるでしょう。
晁蓋大哥たちの梁山泊奪取、楊志哥々花和尚の二竜山奪取なんて言うのは、根本的にこの手口と言えなくもないでしょうな。
第十九計 釜底抽薪(ふていちゅうしん)
強大な敵に対して味方が対抗し得ないような場合は、敵の勢力を削げと言っています。「釜の底から薪をぬく」、字義的には煮え立った釜でも薪を取っ払ってしまえば勢いが治まるとの意です。
では、敵の勢いを削ぐとはどういうことでしょう?この前提は味方が勢力的に不利な状況ですから、直接攻撃することではないのは自明の理ですね。敵の志気を削ぐんですな。志気の下がった軍は戦力が低下しますから、兵数の多寡を埋める重要な要素となります。例えば兵糧を焼けば腹が減りますから志気が下がりますし、深く侵攻してきた敵の退路を断てば帰れないかも知れないと言う恐怖で志気が下がります。
このように、精神的肉体的に敵を追い込むことによって、戦闘以前に戦力の均衡を図ることを目指すのが『釜底抽薪の計』と言えましょうな。
あ〜、我らがこの手を使ったのは...思いつかん...
第二十計 混水摸魚(こんすいぼぎょ)
敵が混乱し、戦力が低下して指揮が乱れているのに付け込んで味方の利益とする策です。敵が統一された意志の元に規律正しく行動している場合、集団としての戦力は高いと言えます。ところが、命令系統が混乱すると、各自の行動はばらばらとなり、統一行動は不可能となって、実際の兵力よりも戦力的には低下します。
こうなると、敵は軍としての行動ができなくなりますから、味方から見ると戦略的な時間確保、彼我の戦力格差、戦略的な”隙”等の形でメリットとなります。このメリットを有効に利用しろ、と言うのが『混水摸魚の計』ですな。
江州で公明大哥と戴院長の処刑が行われようとした将にその時、刑場の周りには変装した兄弟衆が取り巻いていました。変装をかなぐり捨てて四方から乱入した兄弟衆に、江州の官民は大混乱、無事二人を救出して白竜廟に辿り着きました。暫く経って、やっと追撃隊五千が追ってきましたが、花栄哥々が弓で騎兵隊長を倒すと敵はまたしても大混乱、兄弟衆は反撃した上で悠々と引き上げました。
官軍に比べれば初期の泊軍は数で劣りますから、ゲリラ戦のような戦略が多めなのは已むを得ませんね。
第二十一計 金蝉脱殻(きんせんだつこく)
固く守ると見せ掛ければ敵も迂闊には手を出せず、戦線は膠着状態となります。そして、敵に堅守するものと思わせておけば、密かに自軍を移動させる絶好の機会です。『金蝉脱殻の計』とは、将にそう言う計です。
進むにしろ退くにしろ、味方の動静が敵に察知されなければ、それだけ成功の確率は高まります。『声東撃西の計』や『暗渡陳倉の計』などの陽動作戦と対極を為す策ですが、いずれの目指すところも同じで、敵に動きを察知されずに目的を達するところにあります。『孫子』でも敵に動きを察知させないことの重要性を何度も説いていますな。
あ〜、我らがこの手を使ったのは...またしても思いつかん...
第二十二計 関門捉賊(かんもんそくぞく)
味方に比べて弱小な敵は包囲殲滅するべし、だけど深追いはするなと言うことです。な〜んだ当たり前じゃんと言われそうですけど、もしこれが現実の生活の中であれば、敵対している相手でも明らかに自分より弱いと分かっている相手をとことんど突き倒せと言われたら、躊躇したりしませんか?
敵対する者が敵対を宿命付けられている存在であれば、今は自分の方が強くてもいつかは相手の方が強くなる可能性はあります。ここで言っているのは、そう言う将来に禍根を残すような場合は退路を断って殲滅しろと言っているのですな。歴史の中では情けが仇となった例がそれこそ掃いて捨てるほどありますからね。
晁蓋大哥たちは生辰綱奪取が発覚して逃走しましたが、何濤は五百の官兵を率いてそれを追いました。まぁ、官兵とは言っても民兵でしょうからものの役には立ちません。晁蓋大哥たちはこの五百の兵士を弱小と見て、湖で迎え撃ちました。率いる味方は義兄弟七名と地元の漁師数名、敵は数にして数十倍ですから普通なら逃げるところですけど、そこは流石に晁蓋大哥です。この僅かな人数と一清道人の道術を使って官兵を皆殺し、何濤だけは耳を削いで放ちました。
我らのやることですから、ちょっと特殊と言えなくもありませんけどね(笑)
第二十三計 遠交近攻(えんこうきんこう)
膠着状態となったなら、攻めるのはまず近くの敵にしろ、遠くの敵とは同盟しておいて攻めてはならないと言うことです。
当然のことですが、敵が遠近両方にいて遠隔地を先に攻める場合、仮に近くの敵と同盟していたとしても遠隔地の敵と戦っている最中に同盟を破棄しないとも限りません。所謂、”後顧の憂い”って奴です。更に遠隔地への遠征には多くの日を費やしますから、それだけ多くの費用が掛かりますし、兵站線が長いと言うのはそれだけで弱点になります。
ですから、まず近場の敵を倒して足場を固めた上で、遠くの敵を撃てと言っているのですな。
我らの事跡では直接的な『遠交近攻の計』はありませんが、この応用は用いられました。何時のことだか分かりますか?そうです、招安前後の我らの動きがこの応用です。
どういうことかと言うと、童貫・高キュウが攻め寄せた際には完膚無きまでこれを叩きましたが、高キュウに到っては捕らえたにも関わらず殺しませんでした。あの、兄弟衆の恨み重なる高キュウをですよ!更に宿太尉に渡りを付け、聞煥章の理解を得、徽宗皇帝とのつなぎに李師師を用いました。これはいずれも徽宗皇帝と直結して招安を受けるための策に他なりません。
攻めて来ればこれを撃ち払い、後方ではいくら四姦が画策しようとも真情が皇帝に伝わるべくいくつもの手を打ったのですな。これ即ち、『遠交近攻の計』の応用と言うわけです。
第二十四計 仮道伐カク(かどうばつかく)
敵と自軍の間に小勢力がいる場合、敵がそこに手を出したらすかさずこちらも出兵して、救援を大義名分に併呑してしまえと言うことです。
いつの時代でも何か行動を起こす場合には大義名分が必要です。本当はそんなもの必要ないんですけど、世間を納得させると言う一点に於いてのみ必要と言うべきでしょうか。要は敵がくれた大義名分は絶対に逃さず利用しろと言うことでしょう。
梁山泊で負けて青州に落ち延びた呼延灼将軍は、慕容知府と利害が一致して桃花山を攻めます。桃花山の李忠哥々たちは二竜山の花和尚たちに救援を頼みますが、彼らは孔明哥々救出のための青州攻めに当たって、梁山泊に増援を依頼しました。このことから、青州戦後に三山は梁山泊に吸収されることになりました。
まぁ、彼らを吸収したのは、策と言うより天の定めと言うべきなんでしょうけども。