地之巻
神機軍師朱武であります。さて、ちょっと『孫子』が続きましたんで、趣を変えて『三十六計』なんて言うのは如何でしょうかな?
三十六計は題名通り、三十六通りの計略によって成り立っていますので、十二計ずつ三回に分けて講義いたしましょう。今回はその第一回目です。
第一計 瞞天過海(まんてんかかい)
例えて言うなら「狼少年」のお話です。「狼が来たぞ〜」と言えば皆警戒しますけど、その嘘が二度三度続けば警戒を怠るようになります。で、遂に本物の狼が来た時は万事休す...つまり、敵の目にある状況を見慣れさせておいて、警戒が緩んだところで実行するわけです。虚実の応用ですね。
晁蓋大哥たちが生辰綱を奪った時、白勝哥々が酒桶を担って現れた時は如何にもの状況ですので楊志哥々は完全に疑っていました。その後、晁蓋大哥たちはその酒を一桶呑んで見せましたが、ここまでは楊志哥々もまだ半信半疑です。そして、劉唐哥々がもう一桶の酒を一碗盗み呑みした時点で楊志哥々は警戒を解きました。が、この後呉軍師が盗み呑みしようとした碗には痺れ薬が入っていて、白勝哥々はそれを桶に戻したので痺れ薬が混入されたんですね。
将に『智取生辰綱』、瞞天過海の計そのものですな。
第二計 囲魏救趙(いぎきゅうちょう)
「囲魏救趙の計」については特別講習でも出てきましたが、三十六計での解説は敵兵力の分断と敵を誘導して自軍優位に持ち込むこととされています。しかし、具体的な策として考えれば、本来救うべき目的地にいる強力な敵に直接当たらず、別の敵拠点を襲うと見せて敵を目的地から引き剥がし、移動中の敵を捕捉して先手を取る策です。
そもそも「囲魏救趙の計」は以前にも書いたように、戦国時代斉の孫ピンが趙を攻撃した魏を破った計略で、関勝哥々が北京を攻撃中の泊軍に対して行った策はこれと全く同じです。
第三計 借刀殺人(しゃくとうさつじん)
敵を撃つに際して、同盟軍の旗幟が鮮明でない場合、同盟軍を巻き込んで敵と戦わせ、自軍は兵力を温存すると言う策です。まぁ、キッツイ所は他人任せで美味しい所だけ頂くってことで、非常によく見られる基本戦略で、世間でもこれに忠実な応用が見られますな(汗)友軍の態度が不明確な場合は自軍にとっては死活問題ですが、明かな友軍と分かっている場合でも単純な損得計算からすればこの手に如くはなしってことでしょうか。
孟州で武松哥々が蒋門神を倒して快活林を施恩哥々に取り戻した後、蒋門神の後ろ盾である張団練は同姓の義兄弟張都監に頼んで武松哥々を陥れました。この場合、張団練が直接行動すると武松哥々の警戒を招くことが考えられたとも言えますが、張団練に「借刀殺人」の意図が無かったとも言えないでしょうな。また、呉軍師が王倫から梁山泊を奪うに際して、林教頭に王倫殺害を教唆したのもこの手です。
第四計 以逸待労(いいつたいろう)
これは『孫子』の虚実篇とか軍争篇に出てきましたな。こちらは体力を温存して、敵の疲労を待つことです。戦闘においては兵数の多寡、将の優劣、兵器の優劣、占める地形の優劣などに加えて志気の高低は重要な要因となりますから、戦闘以前に敵を翻弄して体力的に味方優位に持ち込むわけです。
官軍の梁山泊討伐作戦は、いずれも泊軍本拠地への遠征ですから、泊軍から見ればその時点で既に「以逸待労」の状況ではありますが、童貫率いる征討軍に対してその進路に伏せていて遭遇戦に持ち込み、第二戦目に十面埋伏して退却する官軍に大打撃を与えたのはこれの応用と言えますな。
第五計 趁火打劫(ちんかだきょう)
所謂”火事場泥棒”のことで、敵が何かで苦しんでいると見たら、それに乗じて畳みかける策です。戦争は弱肉強食、将に喰うか喰われるかですから、敵に温情なんか掛けないで”溺れる犬は石もて打て”ってことです。自軍から見て敵が弱っている状況と言うのは、敗戦・内紛・災害など色々考えられます。勝つためには手段を選ぶな、とも言えるクールな戦略と言えましょうな。
泊軍は義に因って立つ集団ですから、比較的この手の非情な策は採りませんが、無為軍の黄文炳を撃った時は、火ぃ付けといてどたばたに乗じて一族皆殺しですから、この手でしょうな。
第六計 声東撃西(せいとうげきせい)
この策は字義的に言えば「東を撃つぞ〜」と陽動作戦を行って、敵の注意が東に行っている時に西を撃つと言うものですが、解説では敵の指揮系統が混乱して状況変化に対応できない時は、それに乗じてこれを攻めよとされています。つまり、陽動作戦によって敵を動揺させ、敵の指揮官の行動指針を混乱させて虚を生ぜしめよと言うことです。一流の将であれば、敵の陽動作戦によって本来の戦略目的を見失うことはないでしょうから、凡将に対する心理戦術的な意味合いを持った策と言えるかも知れません。よく漫画なんかで正義の味方が西に東に現れると悪者の親分が、「えっと西だ、いや東だ、え〜い全部やっつけろ!」なんて言うと部下がうろうろしてる間に正義の味方にやられちゃう、あれです(笑)
清風山に宋江大哥花栄哥々たちが立て籠もった時、青州指揮司総管にして兵馬統制であった秦明哥々が征伐に向かいましたが、花栄哥々はこれに対して清風山の東西で陽動を行いました。根が短気な秦明哥々はこれに引っ掛かって東奔西走、遂に部隊は壊滅身は虜となりました。こう言ってはなんですが、これなどは秦明哥々の性格を踏まえた、花栄哥々の作戦勝ちの最たるものでしょうな。
第七計 無中生有(むちゅうしょうゆう)
本当はないのにあるように見せ掛けておいて、最終的にはやはり実体となすことです。虚々実々、虚を示して敵の判断を狂わせ、虚から実へ転換して敵を撃つものです。ずーっと虚のまま騙し続けるのではなくて、密かに虚から実へってことがミソです。
関勝哥々が官軍として梁山泊へ攻め寄せた時、功を焦った張順哥々たちが関勝哥々の本陣に夜襲を掛けました。この時、関勝哥々は事前にその動きを察知していましたから、陣中はあたかも何事も無いかのようにしておいて、周りに伏せ勢を置いてわざと幕営の中で明かりを灯して兵書を読んでいる姿を見せつけました。本営が手薄と見た張順哥々は本営に突入しましたが、敢え無く伏兵に捕らえられました。この直後、逃げ延びた張横哥々に相談された三阮たちは同様に関勝哥々の本営を襲いましたが、同じ手で今度は小七哥々が捕まってしまいました。
この手は我らにとっては言わば定石で、高唐州でも方臘戦でも多々見られますな。
第八計 暗渡陳倉(あんとちんそう)
これは世間で言う陽動作戦の事です。つまり、陽動作戦を行って、本来の目的地から敵の目をそらしてその隙に目的地を制圧するわけです。どちらかと言うと『声東撃西』が戦術的であるのに対して、こちらは戦略的と言えるかも知れませんね。
対王慶戦でのこと。荊南へ侵攻した宋江大哥たちの前に荊南の要害である紀山の山寨が立ちはだかりました。守備兵三万、守将も王慶軍屈指の猛将揃いでした。緒戦で引き分けた後、敵から挑戦状が届きましたが、呉軍師は魯智深哥々たち歩兵部隊五千を密かに間道伝いに紀山の裏に迂回させました。紀山正面で本隊がぶつかっている頃、迂回部隊はほとんど空になった山寨を制圧し、奇襲部隊が敵本隊に襲い掛かるのとほぼ時を同じくして、余勢を駆って敵本隊を撃破しました。
この場合、一戦場でのケースではありますが、敵拠点と敵本隊が別地点を占めていますので、『暗渡陳倉の計』と言っても良いでしょう。
第九計 隔岸観火(かんがんかんか)
「岸を隔てて火を観る」とは言い得て妙、敵の内紛から自滅を待って、高見の見物と洒落こむことです。何も戦って勝つ必要はありません。要は敵を消滅させればいいわけですから、敵内部での抗争から勝手に自滅してくれるならば、「棚からぼた餅」って奴ですな。
晁蓋大哥たちが生辰綱を奪って梁山泊へ向かった時、良識派の林教頭は既に晁蓋大哥たちに対する王倫の対応に相当反感を持っていました。それと見抜いた呉軍師は『借刀殺人の計』で林教頭を煽りましたが、基本的には梁山泊の内部抗争から覇権奪取と言う漁夫の利を得ました。
これは文字通り合わせ技、つまり元々燻っていた反目の火種を焚き付けて、より効果的に意図した状況に持ち込んだと言えます。が、元々我らは前世から定められた宿命に操られた義兄弟ですから、結果的には黙っていても同じ結果だったかも知れませんが...
第十計 笑裏蔵刀(しょうりぞうとう)
読んで字の如し、敵に信用させておいて安心させ、裏で敵を撃つ機会を狙うものです。あくまでも味方だと思わせておかねば警戒されますから、表面的には笑顔で近付いてくるわけです。美味しい話には裏があるってことでしょうか。
孟州で蒋門神を追い出した後、武松哥々は張都管に呼び出されて側近となりました。扱いは家族も同然、張都管は武松哥々の言うことならなんでも聞くし、嫁を紹介しようとさえします。ところが、これは武松哥々を陥れる前振りで、蒋門神の後ろ盾である張団練に頼まれての計略でした。結局、武松哥々は身に覚えのない窃盗の濡れ衣を着せられ、罪に落とされました。随分手の混んだ策略ですが、だからこそ武松哥々も何の疑いも持たずにはめられたんですな。
ちなみに清風寨で花栄哥々が黄信哥々に捕らえられたのもこの手です。
第十一計 李代桃僵(りだいとうきょう)
戦争においては犠牲は付き物です。であるならば、小さな犠牲を払って大きな利益を掴めと言うことです。所謂、捨て石の効用を言っているんですね。もっと積極的な意味では、囮戦術とも言えます。釣りで言う”撒き餌”と言う奴です。撒き餌を喰ってるうちに釣り針に喰い付くように、敵に意図的に利益を喰らわせて、敵をこちらの思うように操るわけです。
東昌府攻めでは、泊軍は張清哥々のために十五人もの兄弟衆が打ち破られました。このまま一騎打ちを続ける非を悟った呉軍師は、車と舟で本物の兵糧を運ばせて敵の目先にちらつかせました。兵糧が本物だと知った張清哥々は花和尚にケガを負わせた上で兵糧を奪い去りました。これに気を良くした張清哥々は舟の兵糧をも奪おうとしましたが、こちらは万全の手配がされていて、公孫先生の道術に目を眩まされ、川に追い落とされた所で水軍の兄弟衆に捕らわれました。
餌は兵糧だったわけですから花和尚の負傷はおまけですが、これで尚のこと張清哥々も図に乗ったと言えますから、全く無駄とも言えませんな。
第十二計 順手牽羊(じゅんしゅけんよう)
字義的には手に触るものは手当たり次第に頂いちまえと言うことですが、解説では、たとえ僅かでも隙があればそれにつけ込み、たとえ僅かでも利益と見たら必ず取れとなっています。敵の僅かな損失は、乃ち僅かとは言え味方の利益なわけですね。これは確かに真理ですが、利益に釣られて本来の戦略目的を見失うようでは『李代桃僵の計』の餌食になりかねませんからご用心を。あくまで”行き掛けの駄賃”としての行動であることを忘れてはなりません。
宋江大哥が江州で間一髪梁山泊の兄弟衆に助け出された後、宋江大哥は自分を陥れた黄文炳に仕返しするべく無為軍攻めを提案いたしました。晁蓋大哥は慎重論を唱えましたが、宋江大哥は一度梁山泊へ戻ってからでは敵に備えを固めさせる時間を与えてしまうので、是非ともこの機会にと主張しました。薛永哥々侯健哥々の情報では江州は防備を固めて朝廷に上申を行ったことが判明しましたが、無為軍の方は黄文炳が不在の上、特に防備も固めていない様子。そこで無為軍を襲って黄文炳に復讐しました。これも本来の目的が宋江大哥と戴宗哥々の救出ですからおまけと言えますが、宋江大哥が言ったように今であれば危険も大きいかも知れないけど、敵が無防備であると言う機会を捉えようとしたと言う点で『順手牽羊の計』と言えましょうな。