山之巻
後周皇帝世宗嫡流の末裔小旋風柴進と申します。神算子蒋敬殿とは、殴り合いの末話し合いの末、私に替ることになりました。我が祖先も兵法を以って中華を統一せんと志したもの。負ける訳には参りませぬ。
それでは、始めましょうか。
読み下し文
いわゆる善なるものとは勝ち易きに勝つものなり。故に善なるものの戦うや、奇勝無く、智名無く、勇功無し。〜この故に勝兵はまず勝ちてしかる後に戦い、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。(形篇)
解 説
「世間で言われるいくさ巧者とは、簡単に勝てる敵に勝つもののことである。だから、いくさ巧者が戦っても、世にも稀なる奇抜な勝ち方や知将であるとの名声や勇敢な功績などはない。〜このように、勝利を得る軍隊はまず開戦前に勝利を確定させてから戦い、敗れる軍隊はまず戦いを開始してから勝利を追い求める。」
孫子には言葉を変えて、何度も同じ様な内容が出てまいりますが、それほど重要であると言うことでございましょう。勝って当然の敵に勝つのですから、派手な名声を受けることも無いのですが、他人は得てしてこのような人を無能と見なしますな。「あいつは優秀でこんなピンチをこう切り抜けた」などと言う話を世間では好みますが、孫子がそれを聞かれたら、こう言うでしょう。「そんなのは偶然にすぎない。そのうち、”一将功成って万骨枯る”なんてことにならなきゃいいが...」とね。
読み下し文
故に善く戦うものは、これを勢に求めて人に求めずしてこれが用を成す。故に善く戦うものは人を選びて勢にしたがわしむるあり。勢にしたがわしむるものは、その人を戦わすや、木石を転ずるが如し。(勢篇)
解 説
「いくさ巧者は、勝利の要因を軍全体の勢いに求めて個々の勇気や武力には求めないで用兵を行う。だからいくさ巧者は、良い兵を選抜して軍全体の勢いが加速されるようなところに配備する。軍全体の勢いを重視するものが人々を戦わせること、あたかも木や石が坂道を転がるようなものである。」
今でも何かの試合とかで”流れ”が変わったとか申しますが、それが勢いというものでしょう。個々人の資質に頼ると言うこと自体不確実なものですから、ムードメーカー的な人をポイント々々に置いて、群衆心理を応用して総体的なパワーアップを図れと言うことでしょう。
読み下し文
先に戦地におりて敵を待つものは佚し、後れて戦地におりて戦いに走るものは労す。故に善く戦うものは人を致して人に致されず。(虚実篇)
解 説
「先に戦場に到着して敵を待つ方の軍は楽であるが、後から戦場に到着してすぐ戦いに突入する軍は疲労してしまう。だから、戦巧者は敵を都合の良いように誘導するが、誘導されるようなことはない。」
聞かれたことはありませんか?”佚を以って労を待つ”と言う奴ですな。疲れている(虚)敵に対して、体力の充実した(実)軍で当れば、俄然有利でありますな。このような策を偶然にではなくて、狙い澄まして敵に施して、自分は引っ掛かることのないのが名将だと言うことですな。
読み下し文
故に善き将は、人を形せしめて形なければ、すなわち吾は集りて敵は分かる。我は集りて壱となり、敵を分かれしめて十となせば、これ十を以って壱を撃つなり。我すくなくして敵おおきも、能く寡を以って衆を撃つは、すなわち吾がともに戦う所のもの約なればなり。(虚実篇)
解 説
「だから、良将は敵に姿を現させて自分は姿を見せない。すると味方は兵力を集中させられるが、敵は警戒して兵力を分散することになる。味方は兵力を集中して一つとなって、敵兵力を十隊に分散させれば、敵兵力の十分の一を味方の全軍で攻撃することとなる。総体的には味方が少なく敵が多くても、味方の小兵力で大兵力を攻撃できるのは、味方は兵力の集中ができ、敵は兵力が分散されて小部隊となっているからである。」
小部隊が大部隊と戦う場合、兵力を分散させた敵を各個撃破すると言う定石を述べております。これも勝利を得るための確率を上げる方法論ですな。
卑近な例えで言えば、夏休みも終わりに近付いた頃、宿題が山と残っているとします。一日で全部やろうと思えば気も萎えますが、一日一つで十日で終わらせようと思えば出来そうな気になるでしょう?
読み下し文
故に用兵の法は、その来らざるをたのむことなく、吾の以って待つ有るをたのむなり。その攻めざるをたのむことなく、吾の攻めるべからざるところ有るをたのむなり。(九変篇)
解 説
「だから用兵と言うものは、敵が来ないことを期待するのではなくて、自軍に敵が来た場合の用意があることを頼みとするのである。敵が攻めてこないことを期待するのではなくて、自軍に敵が攻めることができないだけの用意があることを頼みとするのである。」
敵に期待すると言うことは、既に敵にイニシアチブを握られていることになりますから、自分の運命を他人に委ねることですね。孫子は「いざ敵、ござんなれ。」と手ぐすね引いて待っているような体制であるべきだ、その状態を頼みとしろと言っておられます。
耳の痛い方も居られるかと...試験の時に神頼みなんかする前に、どこが出ても良いようにちゃんと勉強しておけ、と言うのと同じことですな。
読み下し文
故に戦道必ず勝たば、主の戦うことなかれと言うも必ず戦いて可なり。戦道必ず勝たざれば、主の必ず戦えと言うも必ず戦うこと無くして可なり。故に進みて名を求めず、退きて罪を避けず、ただ民をこれ保ちて、しこうして利の主に合うは、国の宝なり。(地形篇)
解 説
「だから、戦争の道理として勝算があるならば、主君が戦うなと言っても戦ってよい。勝算がないならば、仮に主君が戦えと言っても戦わなくてもよいのである。この結果、戦闘に突入しても功名を求めることなく、撤退して主君から罰されることを恐れず、ひたすら民衆を保障して、それらの行動が主君の利益にも合うと言うような将は、国家の宝である。」
たとえ主君がなんと言おうとも、自分の下した客観的な判断に従って行動し、しかも見た目上の行動結果に対して自ら功罪を論じないで皆の為になる人、そのような無我の人が宝だそうである。それはそうでしょう。そんな人、周りにいますか?梁山泊にも少ないですな、そんな好漢は。
しかし、他人に対して責任のある立場の人は、自分を捨てて責任を果たせと言う、なんとも勤め人にはグサリと来る名文ですな。
読み下し文
これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に投じて然る後に生く。それ衆は害に陥りて然る後に能く敗を成す。(九地篇)
解 説
「兵を滅亡必至と思われる場所に投入してこそ生存が可能であり、死ぬこと必至と思われる場所に投入してこそ生き残る可能性があるのである。群衆と言うものは、生命の危機に陥って初めて必死の覚悟で戦うようになるものである。」
なんとも厳しい目で群衆を見ております。誰でも楽がしたいのは当たり前。自分一人くらい死ぬ気で戦わなくても、これだけ味方がいるんだから大丈夫だろうと言うのは有り勝ちなことではありますが、千人が千人そう思っていたら絶対負けますな。だから孫子は、自分が戦わなければ死ぬと言う状況に敢えて群衆を置いて、その気にさせてこそ死中に活を求めることができるのだと言っています。
遅刻が多い集まりで、「今度遅刻した人は二次会の会費全額負担ね!」なんて決めると、皆めちゃくちゃ早く集まるなんてこと、経験ありませんか?
では、次は応用事例を紹介いたしましょう。では。