<五臺山>
五臺山!わしが語らずに誰が語ると言うんだ!この花和尚 魯智深以外におるまいに。
五臺山は代州雁門県、趙員外の屋敷のある七宝村から三十里(百回本では五里)程離れた仏教の聖地だが、ここまではご存じであろう。
わしが得度を受けたのが、文殊院と言う寺院と言うのも知っておろう。国中の尊崇を受けて参拝者引きも切らず、寺の下には町もあるとも書いてあるな。
だが、これだけ見ると一つの寺のようだけど、実は違うんだな。倭国で言えば、高野山とか比叡山みたいに沢山の寺院が山中にあると言うのがその姿だ。その数、数百とも言われておる。
立地的には太行山脈の支系で五臺山系と言われる連山で、一番高いところで三一四〇米もあるんだ。でも、寺はそんな高い頂上にあるわけじゃなくて、山々の間の狭い盆地みたいなところに固まってるんだ。
五臺山がいつ仏教の聖地となったのは、はっきりしていが、大体五胡十六国の前後らしい。まぁ、一般的に中国に仏教が伝わった頃、と言うことかな。その後はずっと仏教の聖地で有り続け、一時北周武帝の廃仏の法難にあったものの、また復活したんだよ。
で、何でそんなに聖地として注目されるようになったか?理由があるんだ。『華厳経』と言うお経があるんだが、その中に「印度の東北方面に清涼山と言う山があり、そこで文殊師利菩薩が一万の菩薩眷属にいつも説法をしている」と言う箇所があって、それが五臺山と結びついたんだな。だから、五臺山は一名清涼山とも呼ばれるんだ。
その後、この五臺山=文殊道場説が広まって、中国はおろか印度、西域、蒙古、西蔵、倭国などからも僧侶が訪れるようになったんだな。倭国で有名なところでは、天台宗開祖伝教大師最澄の弟子、慈覚大師円仁は唐での日記『入唐求法巡礼行記』に五臺山を詳しく書かれておられるな。
わしの修行からは禅宗の道場だと思われるであろうが、天台教学、華厳、禅、律、念仏、不空三蔵系の密教など、顕密ともに行われていたようだな。寺院の数も多いし、時代による流行りもあるんだろうけど、所謂総合大学的な所だったようだ。倭国みたいに宗派のはっきり分かれたイメージとは、中国の仏教は違うんだよ。
わしが言うのも変な話(笑)だが、元の支配が及ぶに至ってラマ教の色が濃くなる。モンゴルは国教に近いものとしてラマ教を見ていたから当然と言えば当然だが、実はラマ教は仏教なんだよ。所謂チベット密教と言う奴のことで、根本的な教義は変わらないんだ。元来、仏教自体が世界宗教だから、それを取り込んだ民族毎に多少その地の古い信仰とかと習合して民族色が出るんだな。倭国だって、同じだろ?
というような流れが延々と続いて、今でも五臺山の仏教は盛んなようで、現在は臨済禅系とラマ教系が主流となっているようだ。