<八犬伝と水滸伝二>
では、八犬伝の中に見られる、『こんなところにちらっと水滸伝』と言う所を御紹介しましょうかの。あくまで「思い込み」と「思い入れ」の産物じゃから、実際ご自分で読んでみるのが一番じゃよ。今回は第六葺巻之一 第五十一回から第八葺巻之八 第八十八回までの範囲で見つけたものじゃ。
信濃で扇谷定正に計られて九死に一生を得た五犬士の一人犬田小文吾。犬山道節から保護を頼まれた旧家臣の妻女二人とはぐれて捜す途中、田圃の畦道で野猪に襲われる。逃れる道無き畦道を舞台に小文吾は素手で野猪を撃ち殺す。
日本だから虎は出ようがないし、熊を殴り殺すのはあまりに嘘臭いから、野猪は妥当なところかな?言わずと知れた、武松の虎退治の日本バージョンでしょうね。
旦開野こと犬坂毛野の石濱城馬加大記宅對牛楼での敵討ち。己が欲望のために父を殺された犬坂毛野は、女装して女田楽の一座に紛れて仇馬加大記に近付く。馬加大記は息子鞍彌吾の誕生祝いを屋敷内の對牛楼で催す。一同酔い伏したところで毛野は名乗りを挙げて仇を討ち、楼内にいた残余の輩を残らず討ち果たす。一仕事終わった犬坂毛野は、仇の血を以って壁に一筆走らせる。
『人を殺せしは虎を仕止めし武松なり』
と、違った。もっとずーっと長い文章です。五十余言とありますから。大記の妻と娘は直接殺さないけど、巻き添えで死にます。これがなければ、将に武松の『鴛鴦楼の皆殺し』の場面ですな。
二荒山に向かうつもりの犬飼現八は、茶店の親父足緒の鵙平から庚申山の話を聞いて用心の注意をされたのに己を恃んで出発する。陽が暮れて、どうやら噂の庚申山に迷い込んだと知った現八は、鵙平の話を聞き入れればよかったと少し後悔する。
庚申山に出ると言われるのは山賊猛獣妖怪変化だし、現八は茶だけで酒を呑んでいる訳ではないけど、なんとなく景陽岡の武松を思わせますな。
仲間の八犬士を捜す旅路の犬田小文吾は、牛角力で暴れた牛を取り押さえたことから越後小千谷の宿屋に長居することに。ところが、どうしたことか眼を患って何も見えなくなってしまう。心配した宿の主で小文吾贔屓の次團太は、身体の凝りから眼疾は来るからと、女按摩を呼び入れる。実はこれ、前夫を小文吾に殺されて仇と狙う悪女船虫で、小文吾の目が見えないことを良いことに按摩の振りをして殺そうと計っていたのであったが、小文吾は幸いにも無事に船虫を取り押さえた。
ここで馬琴は賊婦船虫を「水滸の母夜叉母大虫に似たる強盗なるべきか」と言ってますな。孫二娘はいざ知らず、顧のおばさんがこれを聞いたら井桁を振り回すかも知れない(笑)
長尾景春の母箙大刀自の曲解で、過去の罪を問われた犬田小文吾と犬川荘介。それぞれ首を打たれて大塚、千葉へ送られてしまう。しかしこれは偽首で、本物の二犬士は長尾家の良臣、稲戸津衛由充の自宅の仏間の板敷きの下に掘られた穴に匿われていた。
宋江が閻婆惜を殺して隠れていたのが、宋家村は宋太公(父親)宅の仏間の地下にある隠し部屋。稲戸家の穴は本来火災時の仏具退避用で、宋家のは最初から危険発生時の退避所だから性格は違うけど、仏間の地下に匿うのはまったく一緒ですな。
偽首とも知らず、犬田小文吾と犬川荘介の首を運ぶ馬加蠅六郎郷武、丁田畔五郎豊実。長尾家からの副使荻野井三郎と同行しているが、この度の手柄を自分のものと偽るには邪魔で仕方がない。そのため、朝は遅くに出立し日中の炎天下に道を急ぎ、陽が暮れてから宿を取る変則旅行を行い、三郎を捲いてしまおうと企てる。訝る三郎に二人は、人通りの多い時間帯に行動するのは小文吾荘介の仲間が首と佩刀を奪いに来るからだし、炎天下でも休まないのは使節が時日に遅れるからだと言い訳する。
これもどこかで聞いたような話。生辰綱運搬を指揮する楊志が、北京を離れた途端にこのような行動を取って、同行の兵士達に恨まれます。
でも、楊志の動機は山賊を避けるためで、馬加・丁田の動機は三郎を捲くため。心映えは違うけど、口から出る理由はほとんど同じだね。
犬飼現八と二人連れで旅の途中の犬村大角、背に負った荷物を盗人に奪われてしまう。追い詰めたものの惜しくも逃げられ、気付くとそこに盗品らしきつづらが一つ。二人して、元の持ち主に返そうと相談しているところに近くの百姓たちが現れ、泥棒呼ばわりされてしまう。説明したが信用されず、策を用いられ囚われの身となる二人。持ち主の土豪は言い訳も聞かばこそ、見せしめに現八・大角を殺そうとする。
ここで馬琴の言い訳が入ります。豪傑も時を得なければ神は災いに遭わせるけれど、最後には功名を立てるんだよ、と言ってます。そして、最後まで読まないと、越後片貝での犬田小文吾・犬川荘介のエピソードと似ていると思う人がいるかも知れないんで注を付けたよ、と言ってます。
さて、次ぎです。最後に西遊記や水滸伝にあるような似た話の重複とは違うと言うことを、知ってる人は知ってるんだよ、と言ってます。
すごく意識してますな、馬琴先生(笑)
偶然にも犬塚信乃・犬山道節と巡り会った犬村大角・犬飼現八。千住の渡しで尻肛玉河太郎・無宿猫野良平と言う賊に襲われた話を聞く。この賊二人、舟に住まい正業につかず、普段は隅田川で渡りを求める旅人を船中で殺しては金を奪うのを生業としていた。
いや、将に水滸伝(笑)特に江州方面の話では、何度も出てきますな、このパターンは。水滸伝なら、もしかしたら好漢になれたかも知れないのに、残念でした(爆)
湯島天神の境内で大道芸で薬を売る放下家物四郎、実は犬阪毛野の世を忍ぶ仮の姿であった。居合を見せる口上で、武芸十八般について語る。
ここで、水滸伝に出てくる宋の徽宗の時の八十万禁軍教頭は、皆武芸十八般に通じていたと言うのは嘘だ、と言っています。ついでに居合に使う大太刀の説明で、水滸伝の関勝の渾名は”大刀”だけど、あれは大太刀じゃなくて薙刀の類だよ、とも言ってます。
敢えて言うなら、大道芸の香具師ってのも、李忠・薛永的と言えなくもないですな。
でも、八十万禁軍教頭については何で嘘だと言ってるのかなぁ?宋代の史書に十八般の記載がないから、小説上の設定だと言ってるのかな?よく分かりません(汗)
ちなみに馬琴先生はここで中国の武芸十八般について挙げていますが、これは王進が史進に伝えたところに書かれたものが典拠じゃなくて、『五雑俎』に記載されているものですね。念のため。
今回はここまでじゃ。また、続きは次回に載せるから、読み進むのを待っとるようにの。