<八犬伝と水滸伝三>
では、八犬伝の中に見られる、『こんなところにちらっと水滸伝』と言う所を御紹介しましょうかの。あくまで「思い込み」と「思い入れ」の産物じゃから、実際ご自分で読んでみるのが一番じゃよ。今回は第八葺巻之八 第八十九回から第九葺巻之十五 第百十九回までの範囲で見つけたものじゃ。
犬阪毛野の鈴茂林の敵討ち。北條氏への使者に立った籠山逸東太縁連を待ち伏せ、遂に念願の一太刀を浴びせる。毛野は逸東太を救いに来た副使の一人、三十人力の鰐崎悪四郎猛虎をも倒し、ことのついでに猛虎の首も取ろうとする。そこへ猛虎の家来ども、主を討たせまいと田圃の畦を抜き身閃かして駆け寄って来る。それを見た毛野、ちっとも騒がず左手で猛虎を押さえ、右手で拾った小石を擲ち、一人は眉間一人は喉と二人までを倒す。
前に道節も飛礫で雑兵を倒したことがあったけど、今度は毛野です。言わずと知れた、張清の得意技ですね。
馬琴先生、飛礫が好きなんでしょうか?『椿説弓張月』にはその名もズバリ、”八丁礫の紀平治”って名人が助演クラスで登場します。
役人の襲撃を逃れ、熊谷から鴻巣辺りを一人旅する元山賊の若頭領但鳥源金太素藤。その路銀を狙って、追い剥ぎに襲われる。腕に覚えがあるだけに追い掛けたところが、鈎縄に絡められて捕まってしまう。縄を掛けられて廃寺のアジトに連れて行かれてみると、追い剥ぎの頭領がいた。頭領は素藤の顔を見て驚いた。頭領は以前、素藤配下の山賊であった。素藤は直ちに縄を解かれて、下にも置かない接待をされる。
この手のパターンは珍しいストーリーじゃないかも知れないけど、なんだか水滸伝テイスト。しょっちゅう捕まる宋江や、酔って捕まる武松のエピソードを彷彿とさせますね。
山賊追い剥ぎとは言え、水滸伝の登場人物たちは好漢だから、獲物が知り合いや有名人だと分かれば決して裏切らないけど、八犬伝ではこの後、やっぱり路銀に目が眩んだ追い剥ぎたちと素藤は争いになります。
流れ流れて上総に来た但鳥源金太素藤。このままの生活をしていても仕方がないと、武士になって根を下ろそうと考える。その辺り一郡を支配するのは館山城主小鞠谷主馬助如満だが、これが稀代の暗君で悪政に民衆は喘いでいる。偶々通りかかった村では疫病が流行していて、疫鬼と木霊の会話から疫病の治癒法を知った素藤は、蟇田権頭素藤と名乗って民衆を助ける。しかし、これは民衆を扇動して如満を倒し、自らが領主として立つための謀であった。素藤の人望に嫉妬した如満は兎巷遠親に素藤捕縛を命じるが、子供の命を素藤に救われた遠親は、素藤の言葉に従って如満を殺して領主の座を奪う。しかしそれも束の間、素藤はその場で遠親を殺し、領主の仇を討ったと主張して、民衆と如満の家臣から主君に推戴されて館山城主に納まる。
この後馬琴先生は、この辺りのお話は水滸伝の王慶の小伝のようで、直接八犬士とは関係ないようだけど、この後の話の枕だから外せないと言ってます。
水滸伝百二十回本での王慶征伐は後から挿入された話だけど、その中でも王慶の伝はほぼ独立した話です。どういう経緯で王慶が反乱の賊魁となったかが語られるんですね。王慶が房山の山賊廖立を殺して山寨を乗っ取った話の筋は素藤が館山城主になるまでの展開とまったく違うから、似ていると言うのは一見全然関係ないと思われる話が唐突に出てくることを言っているんですな。
第九輯附言で、「水滸伝は長編だから一〇八人も豪傑が出て来るけど、人数が多すぎて史進・魯智深・楊志・武松などは屈指の豪傑なのに梁山泊入りした後は最初の勢いが無いぞ。皆で戦争に行く以外は個人としての存在感がないぞ。ましてや一〇八人の好漢以外は登場してもその後どうなったか書いて無いぞ。」と馬琴先生は言っています。
それから、話の重複も多いから、八犬伝では水滸伝一〇八人から一〇〇人除いて八犬士にしたとも言ってますな。
そして、「水滸伝には隠微(作者が直接は書かないけど、密かに言いたいこと)が沢山ある。李卓吾、金聖嘆を初め、唐土の水滸批評家たちは誰も分かっちゃいない。」と鼻息荒いです。さすがは日本が誇る博覧強記の天才文人、曲亭馬琴先生ですね。
突然登場して老侯里見義実の危機を救った犬江親兵衛仁。まだ9才なのに膂力抜群、立ち居振る舞い卑しからず。が、もっと凄いのが犬山道節の旧臣姥雪與四郎。親兵衛は義実を救ったすぐ後に、賊臣蟇田素藤に拉致された里見義成の嫡子義通を救出するべく、義実から賜った名馬青海波に乗って大山寺から館山まで十数里を駈けたが、與四郎は自分の足で馬に遅れず共に駈け抜けた。しかもこの時、姥雪與四郎七十才!
無事義通救出の後、義成はその神行の功を誉めて、與四郎に太刀甲冑を賜った。
足が速いと言えば、水滸伝では神行太保戴宗。戴宗は足に甲馬を貼って神行法を使って走るけど、與四郎は何もしないのに超俊足です。伏姫神女に助けられて以来の能力のようで、霊山富山で仙骨を養ったか、はたまた伏姫の霊力か、昔より全然元気だと與四郎本人が言うんだから間違いなしですね。
犬江親兵衛一人のために、蟇田素藤は捕まり館山城は降伏することに。本来なら死罪は免れないところだが、親兵衛の取りなしで首謀者数名は罪一等を減ぜられ、額に刺青した後に百打鞭打ちされて所払いとなる。
これが水滸伝なら”刺配”だけど、この頃の日本は封建社会だから、他領内への”配流”は当然ないんですな。でも、金印&杖刑ってのは、林冲・武松たちと一緒だね。
蟇田素藤の再度の叛乱を知って、河鯉孝嗣と安房へ戻る途中の犬江信兵衛。風待ちで船に乗れず、暇つぶしに両国の町に出る。そこで荻野上風・萩野下露師弟と言う、相撲を見せる膏薬売りと出会う。見事な技なのに膏薬は誰も買わず、信兵衛が武芸に感心して一両贈る。
すると、そこへ地元の顔役向水五十三太が子分を連れて現れ、所場代を払わないから皆に言って膏薬を買わせないんだ、その一両をよこせと難癖を付ける。数を頼みに喧嘩を売った五十三太だったが、上風・信兵衛らに逆に叩き伏せられる。
船宿に戻って名乗って見れば、実は荻野上風は犬田小文吾と縁ある、越後の石亀屋次団太であった。
これは将に宋江江州刺配での掲陽鎮のシチュエーションですな。相撲と槍棒の違いはあっても薛永・次団太共に薬売りだし。あ、宋江があげたのは五両だったか(笑)
この後、縁あって五十三太達も仲間になるのも穆弘・穆春と一緒ですね。
今回はここまでじゃ。また、続きは次回に載せるから、読み進むのを待っとるようにの。