<八犬伝と水滸伝六>
では、八犬伝の中に見られる、『こんなところにちらっと水滸伝』と言う所を御紹介しましょうかの。あくまで「思い込み」と「思い入れ」の産物じゃから、実際ご自分で読んでみるのが一番じゃよ。今回は第九葺巻之三十四 第百五十六回から第九葺巻之四十五 第百七十五回までの範囲で見つけたものじゃ。
第九葺巻之三十四 第百五十六回の最後で、面白みの少ない前振りの話が続いていることについて、馬琴先生はこう書かれています。
「・・・面白くって、読む人が喜ぶようなところは誰だって書きたいもんだ。それをこんなぱっとしない平坦な話を丁寧に繰り返し書くのは、作者だって辛いんだ。こういう面白みの少ないところを省かないで上手く書くのは、あの羅貫中とかの長編だって絶対悩んだ筈だ。水滸伝以外には、俺の知ってる限りその辺を上手く書いてるのはほとんどないよ。八犬伝は水滸伝より五十回多くて、水滸後伝を足してもまだ十回多いんだ。所謂、『下手の長談義』って奴だ。云々」
本当に水滸伝に惚れてたようですな、馬琴先生。でも、馬琴先生の本だって、十分面白いと思うよ。
行徳口に陣取った犬川荘介と犬田小文吾。荒川の対岸に敵の防御柵があるのを見て、敵本隊が到着するまでに焼き討ちし、対岸に味方を渡河して一泡吹かそうと考えた。そこで名乗りを挙げたのが、満呂重時・満呂再太郎・安西就介の三人。身体に塗れば溺れず凍えず、刀に塗れば鉄鎖も斬れると言う人魚の膏油を塗りつけて、敵の防御柵へ向かう。
そこで二人と二手に別れた満呂重時は、水門から柵内に忍び込もうと近付いた途端、思いもかけず柵内から大砲を撃たれて戦死する。
これは方臘戦の杭州攻めで戦死する、張順のパターンだ...凄く悲しいシーン...
でも、八犬伝では正義の味方はそう簡単には死にません。この時も、実は敵が狙って撃ったものではなくて、定期的に撃つ空砲だったので、重時は死んでいないことが後で判明します。
第九葺巻之三十六 簡端附言にも、水滸伝について馬琴先生が述べたところがあります。
「稗史小説の巧みさってもんは、よく心情が表されていて、面白い話が読む人の意表を突くところにある。戦争場面の話なんて言うのはそこいらの子供を喜ばせるだけで、君子にとっては言うに足らないもんだ。例えば水滸伝でも七十回以降に招安の話があって、宋江盧俊義たち一〇八人が宋朝の為に遼・方臘を征伐するのは七十回までの面白さに比べれば、全くつまらなく見えるよね。このために金聖嘆は七十回までを施耐庵の作と言い、七十回以降百二十回までを羅貫中の作として偽り、続水滸伝としたんだ。毛聲山みたいな小説や伝奇を善く評論する人でさえ、金聖嘆の嘘を受け入れて七十回以降を続水滸伝と言ったのは何故なんだ。俺は昔考えたんだが、そもそも水滸伝百二十回は羅貫中の作である証拠は沢山あるんだ。李卓吾や金聖嘆は勿論、明清の文人墨客など、水滸伝を論評した奴らは多いけど、一人として作者が水滸伝に隠したメッセージに気付いた奴はいないんだ。このために、俺は洒落で水滸伝に隠された秘密のメッセージを明らかにして、日本語で論評して名付けて『拈花窓談』と言おうと思うんだ。でも、老眼が進んじまって、今は思うように物が書けなくてね。完成できるかどうか分からないね。それはともかく、八犬伝のこの二、三十回は皆軍談ばっかりだ。羅貫中の名作でさえ、戦争場面は最初みたいに面白くないんだから、まして俺みたいな貧しい才能で、八犬伝の戦争場面まで読者を飽きさせないのは難しいにも程がある。水滸伝は方臘征伐で一〇八人の義士の多くが討ち死にして、最後は宋江李逵たちが毒を飲んで死んでしまうんだ。読者は残念に思うかも知れないけど、これは勧善懲悪のポイントで、寂しい最後となるのは作者の心配りなんだよ云々・・・」
やっぱり勧善懲悪にこだわってるのね、馬琴先生。
里見義通、犬塚信乃、犬飼現八ら守る国府臺に攻め寄せた上杉顕定軍。ここで顕定は秘密兵器を使用する。これが即ち駢馬三連車で、車を三輌並べて馬六頭が引き、十二人の武者、二人の御者が乗る戦車である。人も馬も薄鉄の面具鎧で全身隙間もない完全な防御となっていて、犬士率いる里見軍も、負けはしないが苦戦する。
これって、戦車だから全く同じじゃないけど、呼延灼の率いた連環馬軍に対応してますね。名前も何となく似てるけど、薄鉄の面具鎧って辺りはそのものだね。
第九葺下帙下套之中後序で、馬琴先生がまたしても言っています。
「・・・大体、四書五経の類の学問は、和漢の先人が詳しく注釈を行って学問する人を教え導くためのものだから、一般の人は皆教学を嫌がって無用の無駄話を喜んだり、面白い話を好んで人の善悪を聴きたがるんだよね。だから、文章の達人が戯れに書いた小説は、題材を卑近なものにして、道理に勧善懲悪を用いるんだよ。無駄話で一般の人の迷いを覚ますようなものに、水滸伝・西遊記・三国演義・平山冷燕・両婚交伝の五つの優れた本があるんだ。文章が上手くって面白く、深意を考えると儒仏道の三教の教えと違わず、仏教で言う方便みたいなもので、五百の阿羅漢・二十五菩薩の功徳に迫ると言っても過言じゃない。だけど、水滸伝なんかは、中国の有識者でもその深意に気付いてる奴はいないんだ。ましてや日本の一般の女子供は、話し言葉の漢文を一行だって読めないから、一般向けに書いた水滸伝が無いと、水滸伝が日本に渡ってきてから随分経つけど、その趣が分かるわけないよな。一般の人・女子供だけでなくて、名人と言われる文筆家たちも中国の話し言葉が読めて、原書を元にしているかどうかなんて分からないな云々・・・」
さすがは馬琴先生、天下に恐いものなんて無いようですね(汗)五書のうち、最後の二つは知らないなぁ...
犬塚信乃、犬飼現八の支援のために城を出た里見義通は、城を奪おうと国府臺に単独で向かった長尾景春と遭遇戦となり危地に陥ったが、救援に駆けつけた正木大全孝嗣たち、犬江親兵衛たちに救われる。
その際、親兵衛は長尾景春の嫡子為景を捕らえ、敗走する景春を寡兵を以って追撃するが、息子を捕らえられたと知った景春の反撃に遭う。
数倍の敵を迎えた親兵衛は、以前伏姫女神に伝授された八門遁甲の陣を布いて迎え撃つ。
これは所謂、諸葛孔明の「八陣図」ですね。ここでは「八卦の陣」とも言っています。なんだ、三国志じゃんと思うかも知れませんが、三国演義では諸葛孔明が司馬懿との対陣で「八卦陣」を布いているので、水滸伝の「九宮八卦陣」は「八陣図」と同じものかも知れないと疑っていること、且つ「九宮八卦陣」が九天玄女神から授かった天書によって知った陣形では?と疑っているので、水滸伝ベースではないかと考える所以です。
※2/14:対司馬懿戦で八卦の陣を布いているのを急に思い出したので、修正(汗)
今回はここまでじゃ。多分、次ぎが最終回じゃよ。