<金聖嘆といふ漢>
金聖嘆は七十回本の作者で水滸伝を「腰斬」した文学批評家として知られておるが、意外な逸話を持っておるんじゃよ。これがあるんで、なんとなく憎めないんじゃな、わしは。
金聖嘆は明末清初の人で、江南地方は江蘇州呉県の生まれだそうじゃ。方臘が反乱を起こした地方じゃな。宋代では蘇州に当る。
文学批評家として有名で、「才子書」と名付けて古典に批評を加えて、次の六冊の本を出版しようとしたんじゃ。
- 荘子・・・荘周の道家の書
- 離騒・・・屈原
- 史記・・・司馬遷の歴史書
- 杜詩・・・杜甫
- 水滸伝
- 西廂記・・・董解元の戯曲
じゃが、実際出たのは、水滸伝と西廂記で水滸伝はその五番目に当るので、第五才子書と言われておる。
とまぁ、ここまでは文学史なんで面白くもなんともないじゃが、この人いろんな逸話を持っておるんじゃよ。
生まれる時じゃが、文章・学問の道教の神、文昌帝君と同じ日の生まれだと言う伝説があるんじゃ。文曲星の生まれ変わりだと言うんじゃな。さらには、その母親は紫の衣を着た人(中華では紫は高貴な色じゃ)が子供を抱いてきて、彼女の懐に置いていった夢を見て、金聖嘆を産んだとも言われておるようじゃな。中国ではよくある偉人生誕伝説じゃが、それほど周囲の人々は彼の文才に驚異の目を向けていたと言うことじゃろう。
成人してからの彼は、世の士大夫とは違ったすね者だったらしい。友人からもその才能は評価されつつも、「狂放にして不羈なり。つねに狗肉を食い、壇に登って経を講ず」と書かれているし、朱子学者などからはこてんぱんに言われたようじゃ。
その最後は天寿を全うできなかったんじゃが、これがまた水滸伝的とでも言うべきかの。
彼の住む地方に、所謂貪官汚吏の典型みたいな奴が赴任してきて、官に納税された米を処分して私腹を肥やし、民衆に負担を掛けておいて税の滞納者を厳罰に処したのじゃ。
民衆の不満は高まっておったところへ、たまたま清の順治帝が崩御したので追悼集会を開いておった学生がこの役人に憤慨して、弾劾集会と化し県庁に押し掛けることとなったんじゃ。
これを反政府運動と見なした中央では関係者を集めたんじゃが、その中の一人が金聖嘆も首謀者じゃと偽証したので、冤罪ながら捕らえられて有罪とされてしもうた。これを「哭廟事件」と言うんだそうじゃ。
処刑直前、酒を所望した彼は、「斬首は痛事、飲酒は快事、痛快痛快!」と言ったんだそうじゃ。息子が別れに来ても、対聯(句のやりとりじゃな、連歌みたいなもんじゃ)をやろうと誘い、息子が泣いて対句が出せないと代わりに対句を詠み、しかも内容は息子を気遣う内容だったんだそうじゃ。
斬首執行時、首切り役人に家族宛の手紙を渡したんじゃが、処刑後に反政府的な言辞があるかと見てみると、「塩菜と大豆をいっしょに噛むと胡桃の味がする。それさえ伝えれば、心残りはない」と書いてあったそうじゃよ。
”げにも反骨の士、水滸伝の作者斯くあるべし”じゃな。
最後に金聖嘆が水滸伝の好漢たちを評してランク付けしたものと彼のコメントを載せておこうかの。
※コメントの解釈が間違っとるかも知れけど、許されよ(笑)
- 李逵 :上の上 <天真爛漫によく書けている
- 武松 :上の上
- 魯智深:上の上 <作為がなくてよい
- 林冲 :上の上 <作為がなくてよい
- 呉用 :上の上 <宋江と似てるが、軍師として堂々と策略を行って偽善的でない
- 花栄 :上の上 <文も秀でている
- 阮小七:上の上 <一〇八人中最高で、台詞も性格も楽しく、人の憂さをなくしてくれる
- 楊志 :上の上 <旧家の子弟
- 関勝 :上の上 <関羽の生まれ変わりのよう
- 秦明 :上の中
- 索超 :上の中
- 史進 :上の中 <でも、後半はよくない
- 呼延灼:上の中 <力を入れて描いて成功している
- 盧俊義:上の中 <愚かな金持ち英雄としてよく書けている
- 柴進 :上の中 <でも、客を好む以外の長所なし
- 朱仝 :上の中 <よく書けている
- 雷横 :上の中 <よく書けている
- 石秀 :中の上 <よく書けている
- 公孫勝:中の上 <その他大勢と変わりない
- 李応 :中の上 <特に見るべきところもない
- 阮小二:中の上
- 阮小五:中の上
- 張横 :中の上
- 張順 :中の上
- 燕青 :中の上
- 劉唐 :中の上
- 徐寧 :中の上
- 董平 :中の上
- 楊雄 :中の下
- 戴宗 :中の下 <神行法を取っ払ったら、取り柄がない
- 宋江 :下の下 <詐術で人を籠絡するのに、本人は志誠質朴を装っている
- 時遷 :下の下