<門神>
今回の中国オフではもしかしたらと期待しとったんじゃが、残念ながらお目に掛かれなかった”門神”についてちょっとお話しましょうかの。
門神と言うのを知っておるかな?そう、清風寨で劉高の部下が花栄の屋敷に押し寄せた時、花栄が射当てた門番の神様じゃな。そう言えば、武二郎が孟州でやっつけた奴で蒋門神なんて奴もおったっけ。
さて、門神とは門番の神様だと言ったんじゃが、大体は紙に書かれた神像で、門に貼るものなんじゃよ。要するに、「うちには門番の神様がいるぞ〜。だから、悪鬼は入って来れないんだぞ〜。」ってことで、普及したんじゃな。何でも相当古くからある習慣らしくて、既に『礼記』にも門神のことが書かれておるんだそうじゃ。そんなことも含めて、道教と言うよりも民間信仰に近い所にいる神様たちなんじゃろうな。
神様たち、と書いたんじゃけど、門神と言うと特定の神様って分けではなくて、悪鬼除けの絵として書かれる存在たち全てを指しておるんじゃよ。と言うか、書かれた絵そのものと言っても良いかも知れんの。
『東京夢華録』によれば、既に宋代では十二月になると街で門神を売っていたようじゃな。紙の物、桃の木の板の物などが記述されておるよ。除夜には朝廷の武官が門神に扮装するなんてこともあったようじゃ。現在ではもしかしたら、縁起物としての存在に近いのかも、じゃな。
で、尉遅敬徳と秦叔宝のペアについては何度か書いたから、それ以外のものについてちょっと書いて見ようかの。
門神について書かれている本には必ず載っているもう一組は、神
(しんと)と欝塁(うつりつ)じゃ。いろいろな説があるようじゃが、門神となった謂われは次のようなことらしい。
太古、東海の山があって山頂に桃の木が生えておった。そこを守っておったのが、神
と欝塁の兄弟神で、邪神が桃を盗みに来ると神
は桃の木の木剣で打って龍に喰わせ、欝塁は縄で縛って虎に喰わせたんだそうじゃ。
また別の本によると、山頂の桃の木の枝が三千里もあって東北の枝が門を為しておった。そこを鬼が通るので鬼門と言ったが、神
と欝塁はそれを見張っておって、鬼が人に悪さをすると縄で縛って虎に喰わせた、ともあるな。
まぁ、いずれにしても鬼退治の神様じゃから、門に貼って悪鬼を払おうとしたんじゃな。