<正史の宋江>
正史『宋史』に出ておる宋江達の記事じゃ。正史以外の史料にも宋江達の記録が散見されるんじゃが、正史として記録されておる記事はたったこれだけなんじゃよ。
原文だと分かりにくいじゃろうから、またいい加減な訳にしてみましたぞ(笑)
宋史巻二十二 徽宗本紀
宣和三年、淮南の盗賊宋江達が淮陽軍※1を犯した。そこで、将軍を遣わして討伐させた。
また、宋江達は開封の東・長江の北を犯し、楚州と海州※2の州境に入った。そして、知州の張叔夜に命じて、宋江達を降伏させた。
宋史巻五百三十一 侯蒙列伝
宋江が開封の東で衆を為して略奪した。侯蒙は上奏文を提出して、
「宋江は三十六人で斉や魏を暴れ回っています。官軍が数万人いても対抗する者とておりません。宋江の才能は必ずや人より優れているでしょう。今、青渓※3に盗賊が蜂起しています。宋江を赦免して、方臘を討伐させ、自らの罪を贖わせるのが良いでしょう。」
と言った。
皇帝は、
「侯蒙は外にいても君主を忘れない。忠臣である。」
と言った。
そして、侯蒙に東平府の知府を命じた。侯蒙は東平府に赴任する前に死亡した。
宋史巻五百三十三 張叔夜列伝
宋江が河北で蜂起して、転戦して十郡を略奪し、官軍でその前に立ちはだかる者もいなかった。
そして、行くぞ行くぞと言い触らした。張叔夜は間者に宋江達が向かう先を探らせた。
賊たちは海岸に向かい、大船十艘を強奪し、奪い取った品々を載せた。
張叔夜は決死の兵士千人を募り、伏兵をおいて宋江達を城に近づけ、そして軽装兵を出して海を離れるよう宋江達を誘いながら戦い、まず血気盛んな兵を海辺に隠し、両軍の兵がぶつかる頃合いを計って、宋江達の船を焼かせた。
賊はこれに気付いて闘志を無くした。伏兵はこの機に乗じ、賊の副首領を捕らえた。※4
そして、宋江は降伏した。
※1:梁山泊から見て東南に220km程のところ。
※2:山東半島の付け根の下の海沿いが海州、その南が楚州。
※3:杭州から見て南西に120km程のところ。水滸伝だと清渓だけど、清渓だと福建になっちゃうから間違いかな?
※4:張叔夜は文官の筈だけど、この一連の戦術はお見事としか言いようがないっす。