<誰?(渾名編)>
水滸伝には本編に直接かかわらないが、名前の出てくる人がおっての。中には誰でも知ってる人もおれば、意外にも知名度の低い人もおる。そこで、そんな人たちをちょっと御紹介してみようかと思いましてな。今回は渾名に冠されとる人たちじゃよ。
李広
漢の対匈奴戦の勇将。花栄の渾名の元になった人。弓の名手の家系で若い頃に虎と間違えて岩に矢を放ったところ突き刺さったと言うエピソードの持ち主。
若い頃から匈奴相手に連戦して「漢の飛将軍」と恐れられ、六十才を過ぎてから衛青・霍去病らと共に武帝の対匈奴戦に参加したが、途中で道に迷って匈奴との会戦に間に合わず、言い訳もしないで自殺した。武勲の割には出世とも余り縁がなかったことも含めて、その悲劇性故に酔蝗をして涙滂沱たらしめるに足る人物。
この人の孫の李陵も寡兵を率いて匈奴の大軍と戦い、遂に刀折れ矢尽きて匈奴に降った悲劇の人。ちなみに『史記』を書いた司馬遷は、この李陵を弁護したために宮刑を蒙った。
関索
正史『三国志』には出てなくて、『演義』にちらっと出てくる関羽の三男。楊雄の渾名の元になった。
荊州で関羽が死んだ時、負傷して民家に匿われたとかで、諸葛孔明の南征に途中から一騎で参加した。でも、南征の後はいつのまにやらいなくなった。どーしたんだ?なんでも『花関索伝』とか言う本があるらしいけど、よく知りません。ちょっと調べた限りでは、正史とも『演義』とも全然違って、史実の反映があんまりないオリジナルストーリーみたいですね。超マイナーな人なのに楊雄の渾名になったってことは、『花関索伝』って隠れたベストセラーだったのかな?『宣和遺事』にも「賽関索王雄」(楊雄の元だけど)として出てくるしね。
尉遅恭
隋末唐初の人で、唐の太宗李世民に仕えた将軍。字は敬徳、そっちの方が有名かも。孫立孫新兄弟の渾名の元になった人ですな。尉遅と言う復姓は帰化した異民族に付けられるものだそうです。
唐建国時に功名を立てた人で、『説唐』では鞭が得意となっていますが、他の武芸も凄かったみたい。この人と秦叔宝のペアが門神として有名と「金沙灘」の中でも書きましたが、その謂われはこうです。
唐の太宗が幽鬼に憑かれて毎晩恐ろしい思いをした時、秦叔宝と尉遅恭が夜間武装して侍立すると幽鬼は現れませんでした。でも、毎晩のことだと二人が寝れないだろうと考えた太宗は、画家に二人が武装した絵を書かせて宮門に貼ったところ、幽鬼が現れなくなりました。ここから、悪鬼を払う守り札として二人の絵が門に貼られるようになったんだって。
このお話、『西遊記』にはもうちょっと面白い話になって太宗と三蔵が出会う前振りとして第十回に出ています。
呂布
後漢末の人で、『三国志』登場人物中、稀代の無節操漢にして最強の男。呂方の渾名の元になった人。所謂、「き●●いに刃物」とは呂布のことかも(汗)しかも、乗騎は「赤兎」。刃物どころじゃないな、こりゃ(笑)他人に対する信義は0、身内に対する愛情は過多、完全に壊れてるよなぁ...
薛仁貴
唐の太宗高宗の頃の武人。郭盛の渾名の元になった人。
『新唐書』によると最初は貧しいお百姓さんだったけど、太宗の高麗(高句麗)遠征に応募して出征して手柄を立てたみたい。結局、高麗遠征は失敗したけど、太宗はこの人を指して、「わしの旧将は皆老いた。外事に驍勇の者を抜擢しようと思っても卿のような者がいなかった。わしは遼東を得ることを喜ばないが、卿のような猛将を得たことを喜ぶ。」と言ったとか。その後も高麗戦・吐蕃戦・突厥戦等で活躍し、大将軍にまでなりました。地方に左遷されたこともあったけど、高麗が叛くと呼び返されたりして、周辺諸族はその名を聞いただけでもビビッたってくらいの漢です。享年七十才。
項羽
亡国楚の将軍の家柄の出身で、秦末の動乱期に叔父の項梁と共に立った反秦勢力の一人。”西楚”の覇王。周通の渾名の元になった人。
秦を滅亡させた後、劉邦の”漢”と天下を争ったが、最終的に敗れて自殺した。劉邦の”柔”に対して項羽は”剛”で、腕っぷしも強いがやることも強烈である。何かってーと皆殺しなんだけど、一々殺すのは面倒臭いから穴埋めにしちゃうんです。それも何十万人も一度にだったりする(汗)虞姫とのロマンスも有名で、結構隅に置けない。「四面楚歌」で有名な垓下の籠城の際、虞姫を相手に呑みながら感極まって歌った詩がこれ。
力は山を抜き気は世を蓋う
時に利あらず騅逝かず
騅の逝かざるを如何すべき
虞や虞や若を如何せん
王伯当
隋末唐初の李密の部下で元群盗。史進の家の下男頭の王四の渾名の元になった人。
隋末の動乱期に群雄の一人として立った李密でしたが、李淵が帝位に就いた唐朝に帰順し、また造反しました。王伯当は中々義に篤い男で、李密の部下だった魏徴や徐世勣(李勣)が唐に乗り換える中、落ち目の李密を見捨てずに最後まで従って共に死んだんですな。
養由基
春秋時代の楚の大夫で弓の名人。ホウ万春の渾名の元となった人。なんでも、百歩離れて柳の葉を射抜いたらしい。でも、それ以外のこと知らない(汗)