<居酒屋「金鯉」>
さて、どこまで話したかの。おぉ、そうじゃった、そうじゃった。石秀達のくだりまでじゃったの。では、乾杯と...
対立...
まぁ、あの頃は良民でも力のある者達は、大地主やら豪族達じゃな、皆自分達なりに武装をしておった。小作人やら支配下の庶民を兵にしたてての。
その者達にとっては、梁山泊は将に敵じゃった。梁山泊の連中も、世間から見れば極道みたいなものじゃし、品行方正だった訳ではなかったからの。何れは戦う運命を背負っておったのじゃな。
そんな中に独龍岡の三ヶ村があった。これは、祝家荘、扈家荘、李家荘と言って鼎の足の如く、同盟を結んでおった。
その祝家荘に梁山泊へ向う途中の楊雄達がちょっかいを出したことから、戦になっての。李家荘の李応は祝家の息子と争ったことから手を引いたが、扈家荘からは別嬪で二刀流の使い手の娘が応援に来ての。この娘もやがて梁山泊の仲間になるんじゃが、えらく苦戦をしたものじゃ。
じゃが、祝家荘の武芸師範と知り合いの孫立、解珍解宝兄弟達が仲間入りしたことから、漸く勝つ事が出来た次第じゃ。李応その他の好漢達が仲間に入ったのは無論の事じゃった...
哀話...
かつて、宋江や晁蓋の知り合いに、朱仝、雷横と言う捕り物頭がおっての、梁山泊の面々は幾度か危急を救われたことがあった。
母親を殴られてカッとなった雷横は女芸人を殺してしもうて、朱仝の友情で逃がされて梁山泊で仲間となった。代わりに罪を得た朱仝は流罪となったんじゃが、流罪先の高官とその子供にまでなつかれての。罪人とは言え、穏やかに過ごしておった。
しかし、梁山泊は義によって立つ所、朱仝に恩のある好漢達は、どうでも仲間にするために謀を巡らしたのじゃ。が、ちと智慧が足らなかったか、哀れにも高官の幼な子を梁山泊一の暴れ者、李逵に殺させての、朱仝は仲間入りせざるを得なくなったのじゃ。
あぁ、如何に天命とは言え、わずか四つの幼な子じゃ。朱仝が怒るのも無理はあるまいよ。朱仝の怒りを静めるため、李逵は柴進の館に預けられる事となった...
高唐州...
さて、しばらくは柴進の館で李逵はおとなしくしておったが、ここへ一つの知らせが飛び込んで来た。高唐州に住む柴進の叔父が高官に無法な追い立てを食らって、生死の境だと言う知らせじゃった。
柴進の家系は元大周皇帝の血筋、大周は大宋へ禅譲を行ったのでな、太祖皇帝より丹書鉄券と言う天下御免の御墨付きを賜っておった。
高唐州へ向かった柴進に従った李逵は、無法を言い立てた高官の身内を殺してしもうた。丹書鉄券を信ずる柴進は李逵を逃がしたが、相手が悪かったようでの。この高官は高イ求の従兄弟の高廉と言い、妖術使いだったのじゃ。柴進を打ち据えて、牢に下しおった。
これを聞いた梁山泊の一同は柴進を救わんものと高唐州へと出陣したが、妖術を使う高廉には天書もまるで役に立たず、散々の負け戦じゃった。
こういう時に頼りになるのは、道術使いの公孫勝じゃ。邪法は正法に勝たず、妖術を制した梁山泊は高廉を討ち取って柴進を救い出し、山塞へと帰っていった...
諸山統合...
従兄弟を殺された高イ求は、中央から呼延灼率いる正規軍を派遣して梁山泊を討伐することを帝に申し上げおった。
中央の正規軍となると地方軍と違って人材も装備も万全じゃったから、梁山泊も大苦戦での。頭領格だけでも林冲、石秀、李逵を始め六名が負傷、手下の討たれる者は数知れずと言う有り様。
中でも、人馬共に鉄で覆った重装部隊の連環馬軍と言うのが難敵での。ところが、元鍛冶屋の好漢湯隆が、従兄弟の徐寧と言う達人の使う鈎鎌槍で破れることを知っておった。謀られて仲間入りした徐寧は梁山泊の兵士に槍法を教え、連環馬軍を討ち破ったのじゃ。
青州に逃げた呼延灼じゃったが、ここで軍勢を立て直しておった。青州の高官に盗賊討伐を依頼された呼延灼は、二竜山、桃花山、白虎山の三山を鎮定しようとしたが、三山の好漢達は連合してこれに当たったのじゃ。
じゃが、三山だけでは青州を破れないと判断した魯智深、楊志などの好漢達は、梁山泊に救援を求めた。連合して青州を討ち破った好漢達は捕虜となった呼延灼をも仲間に加え、全員が梁山泊へと向かうことと相成った。
梁山泊に着いた好漢達の中で史進と交際のあった魯智深は、史進を梁山泊に迎えるべく華州へと旅立った。しかし、そこで史進が捕らえられたことを知った魯智深は一人救出に向かい、却って自分も捕らえられてしもうた。ここでも、救援に駆けつけた梁山泊の好漢は謀を以って二人を救い出し、史進を始めとする少華山の好漢達もともに梁山泊へいくこととなったのじゃ。
また、敵対しておった樊瑞達の山塞も梁山泊と闘って破れた末に仲間となった...
悲劇...
それは、段景住と言う好漢が梁山泊に救いを求めて来たのが始まりじゃった。
宋江に名馬を献上しようとしていた段景住は、曾頭市を通り掛った折り、曾家の五虎と呼ばれる息子どもに名馬を奪われた挙げ句、きゃつらが梁山泊を打ち破ると大言壮語するのを耳にしたのじゃ。
それを聞いた晁蓋は怒り心頭に発し、曾頭市を滅ぼそうと考えた。
出掛けの不吉に義兄弟達が出陣を止めるのも聞かずに、晁蓋は敵の謀に遭って矢傷を負ったのじゃが、これが曾頭市の武芸師範史文恭の放った毒矢で、手当の甲斐も空しく晁蓋は亡くなったのじゃ。遺言で史文恭を討ち取ったものを統領にと言い置いての。
弔いの後、宋江は皆に推され、やむなく仮の統領の座についたのじゃった...
玉麒麟...
晁蓋の法要の席で、宋江はある僧侶から河北の盧俊義の話を聞いての。是非にも迎えたいと考えた梁山泊では、呉用が謀で盧俊義を梁山泊までおびき寄せたのじゃ。好漢達の説得にも盧俊義は肯かなんだ。盧俊義は河北でも大店の質屋の主人であったから、まぁ当然じゃがな。
ここでも一計を案じた呉用は盧俊義が仲間入りしたことにしての、支配人の李固を先に河北に帰したのじゃ。それとは知らぬ盧俊義は、遅れて戻ったところを捕縛されてしもうた。店を横領しようとした李固は役人に金を掴ませ、盧俊義を亡き者にしようと謀ったんじゃが、燕青に救われたのじゃ。
逃亡途中に盧俊義は再び捕まってしもうての。燕青は梁山泊に救いを求めた。大名府に潜入しておった石秀は、一人で処刑間際の盧俊義の助けようとしたんじゃが、共に捕らえられての。梁山泊でも大軍を発して救援に向かったのじゃ。
大名府は要地じゃったから官軍も精鋭で、さらに東京から援軍も向かっておった。官軍は聞達、李成、索超を大将に苦戦していたんじゃが、援軍の関勝は「囲魏救趙の計」で梁山泊を襲った。
急遽梁山泊に戻った好漢達は謀で捕らえた関勝、再度大名府で闘った索超をも仲間に加え、大名府を落とし盧俊義達を救ったのじゃ...
天命下る...
更に仲間を加えた梁山泊では、いよいよ恨み骨髄に徹する曾頭市の討伐に着手したのじゃ。激戦の末、曽塗、曽索を討ち取られて怖じ気付いた曽弄は、梁山泊に和を請うた。しかしじゃ、統領を討たれた梁山泊の怨みは深く、再度の戦いの後曾頭市は滅ぼされ、史文恭は盧俊義に捕らえられた。
晁蓋の遺言に従えば、盧俊義が次の統領なんじゃが、宋江以外の面々は承知せんでの。そこで宋江は盧俊義と兵を二つに分かち、東昌府、東平府を討って、先に城を落とした方を次の統領とすることとしたのじゃ。
東平府に向かった宋江は、二本槍の名手董平を下した末に仲間に加え、城を落としたのじゃが、盧俊義の方は苦戦しておった。急遽東昌府に救援に赴いた宋江は、つぶて投げの敵将張清率いる官軍に挑戦したんじゃが、あっと言う間に十数名の好漢が打ち負かされて驚いた。更に何名かの好漢がつぶてを当てられた後に、ようやく張清らを取り押さえ仲間とし、東昌府は陥落したのじゃ。
かくして梁山泊に戻った宋江は、星祭りを営んだ。各地から道士を集めた星祭りの最中に異変が起こっての。空から石碑が落ちて来たんじゃよ。
早速その石碑を読ませた所、何とそこには「替天行道」「忠義双全」の文字と梁山泊に集う壱百八名の好漢の渾名と姓名、宿星の名が刻まれておった。これを以って、総統領は宋江と決まり、以下全員の席次が決まったのじゃ...
おぉ、もはやこんな刻限か。話はこの辺にして、今日は我が家へお泊まりなされ。
これ、給仕の若い衆、牛肉の煮たのを5、6斤と鶏を料理して家に届けてくださらんか。まだ呑むから酒もじゃぞ。お代はいつものように、わしのツケでな...
さ、では参ろうか...